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Archive for May, 2006

埃はたいてみろ、太鼓ごと無くなっちゃうから

May 1st, 2006 fukao No comments

大切なものは厳重に保管したほうがよいのだけれど、厳重すぎて一体どこに仕舞ったか忘れてしまうこともありますね。先日小掃除をしていたらそんな風にして仕舞われて忘れかけていた一本のカセットテープが見つかりました。下の写真です。

AHF

異常に煤けています。志ん生の『火焔太鼓』じゃないけれど、埃をはたくと一緒にテープが無くなっちゃいそうな勢いで汚れています。それもそのはずで、このテープ、1979年と80年に録音した音源が入っていますから、もう1/4世紀を越えている。このテープのAHF自体が1979年発売らしいです(ソニーの館調べ)。当時ノーマルポジションしか録音できなかった私は、その中でも最高音質だといわれているAHFを買ったんですね。

しかし、おそらくこのテープがなかったら、今ごろジャズを聴いていないんじゃないかってぐらい、私にとっては思い出深く大切な一本です。A面にはジャズ評論家の本多俊夫氏がDJをしたNHK-FMの特番"This is Jazz"の第二回目、ベニーグッドマン特集が、B面にはラジオ・パーソナリティーの襟川クロ氏がDJを勤めた"Weekend Jazz"最終回が録音されています。どちらも出かける必要があってタイマー録音しておいたものだと思いますが、この2つの番組が私をジャズに引きずり込んだのです。
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ブログのデザインを更新

May 5th, 2006 fukao No comments

久々にブログのデザインを更新し、3カラムにしました。
一年も経つと、ゆっくりとはいえ記事も増えてしまい、下のほうにダーッとリストが伸びるようになり、どうにかしなければと考えていました。あちこち検索したところ、PurpleMoonというサイトがシンプルで使いやすそうな3カラムテンプレートを公開していたので使わせてもらいました(カラーは従来の配色に変更しましたが)。

これまで、「ページの横幅は800をマックスとする」という原則を守っていました(メインサイトの@fukaoのほうはその原則で作られています)が、このデザインでもぎりぎり800で収まっているようです。

また3カラムの結果左の下のほうが広く空くので、アマゾンのアフィリエイトを貼り付けました。

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和み系の坂道

May 6th, 2006 fukao 3 comments

地下鉄の白山駅から東洋大へ行く途中に小ぢんまりした坂があります。私はタモさんのような坂道研究家ではありませんが、道幅といい勾配といい、両脇の家並みといい、ちょうどいい感じの坂道です。今日は特に天気が良くて人通りも少なかったので携帯で写真に撮ってみました。

上り
sakamichi1
このまま上がっていくとキャンパスの南門に着きます。

下り
sakamichi2
このまま下っていくと旧白山通りに出ます。

夕方、たまたま創大で昔教えた学生に出会い話をしていたところ、彼も卓球部の関係で何度か東洋大に行ったということで、この坂が印象に残っているそうです。偶然とはいえ、撮ったばかりのこの写真を見せて話に花を咲かせました。

なんと言うこともない路地の坂道なのですが、心和ませる坂道なのです。

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今月の紅茶

May 21st, 2006 fukao No comments

今月はディンブラのクオリティー茶、ノーウッド・クォリティー 06-1を購入。

norwood

思った以上にウヴァに近い感じで、強めの香りと色がミルクティーにぴったりです。淹れ方が悪いと色が十分に出ずに褪せた感じになるのですが、この茶はかなり細かいBOPなので入れ間違いがなく、十分な色味を確保できます。香りはウヴァのようなサロメチール香を含んでいます。
ところで、ウヴァを含むセイロン茶をほめるときに「サロメチール香」というキーワードが出てきますが、「いったいサロメチールの香りがして、本当にうまい紅茶なんだろうか?」と疑問を持つ人も多いと思うので、少し解説します。

サロメチール香といってもそれは比喩であって、実際サロメチールを塗ったときのように鼻の奥にツンと来るような香りではありません。しかし、やはり喩えるならサロメチール。そして、この香りはサロメチールと同じように揮発性の香りなんですね。ところで、揮発性ということは時間が経てば徐々に揮発してしまって香りは薄くなり、ついにはなくなるわけです。そうすると、強烈なサロメチール香がするということはとりもなおさず、その茶葉が新鮮であるということを示すわけです。そこで、半分刷り込みもあるのでしょうが、サロメチール香→新鮮→美味しい→新鮮→サロメチール香という回路が出来上がり、サロメチール香がするとパブロフの犬のようによだれが出てくるわけです(笑)。

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ブログ壊して大慌て

May 23rd, 2006 fukao No comments

夜、何の気なしにブログをいじっていたら、思いっきり削除してしまいました。
いろいろ復旧の方策を試したもののうまくいかず、いったん削除して再びインストールしなおしました。

運の良かったことに「紅茶」のエントリー以前の分は全部書き出しでバックアップしておいたため、記事が失われる事態には至らずに済みました。

多分、Mixiではこの記事以前の分は全部リンクエラーになると思います。

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リンク直りました

May 23rd, 2006 fukao No comments

MIXIからだとリンクエラーになるので、あきらめていましたが、RSSの設定を直したら復旧したようです。

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柄谷行人『必読書150』(太田出版)

May 26th, 2006 fukao No comments

必読書150
近畿大学国際人文科学研究所のサブテクストであるこの『必読書150』には、「これを読まなければサルである」という挑発的な帯がつけられています。新入学生にせよ進級した学生にせよ、4月?5月は気持ちも改まるせいか「どんな本を読んだらいいでしょうか?」という質問をよく受けます。そういう場合、いちいちの書名を挙げてもいいけれど、むしろこうした必読書集を読んでもらったほうが効率がいいので、私はこの本を挙げる事にしています。このサブタイトルについて柄谷は冒頭の座談会「反時代的『教養』宣言」でこう言っています。

80年代以降、カバにもわかる何とか、サルにもわかる何とかという題の本が増えた。アメリカでも同じで、もっと露骨に、idiotsのための何とかという本があるけれどね。しかし、われわれは、サルにも分かる本を書こうというのではない。これを読まない奴はサルだというだけです。

この本に列挙された150冊はいわば知識の基準点です、あるいはメートル原器みたいなものです。本の場合はそれを「カノン(正典)」と呼ぶわけです。サルではないわれわれはこれらの本のうち1冊でも2冊でも読んだほうがいいでしょう。次回以降、ここに取り上げられている本、そうでない本を織り交ぜてこのページで語って行きたいと思います。

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夏目漱石『こころ』(岩波文庫)

May 26th, 2006 fukao No comments

こころ
下で取り上げた『必読書150』では、漱石の『猫』が取り上げられていますが、漱石の場合どれが取り上げられてもおかしくないほど水準の高い作品がずらっと並んでいます。以前は「何を読んだらいいでしょう?」と訊かれると、私は「漱石と鴎外を読んでおけばいい」と答えていました。あれこれ挙げるのが面倒くさかったというのが理由の大半ですが、まずはクリアーしておかなければならないレベルだからでもあります。

『こころ』は教科書で取り上げられる機会も多く、もうご存じの人は多いとは思いますが簡単にあらすじを説明します。この小説は前半と後半、あるいは上中下に大きく分かれていて、前半で「私」という学生が「先生」に鎌倉で出会い、訳も分からず心惹かれていくところです。しかし、先生には謎が多くそれが解明できぬまま「私」の故郷で父親が危篤になり、帰省して看病をするが、父親が死ぬ。その葬儀で追われているときに、先生が死ぬ。後半では葬儀も放り出して東京に戻ってくる道すがら、先生から私に宛てられた遺書という形で先生の半生が語られています。

先生はひどい叔父の裏切りで親の財産を取られてしまい、人間不信になっているところに下宿の「奥さん」「お嬢さん」と出会い癒される。先生にはKという友人がいた。生来禁欲的で理想主義的な男だったが、彼が経済的に困っていたために先生は同じ下宿を紹介する。こうして「先生」「K」「お嬢さん」の間で三角関係が始まるのだが、ある時Kが先生に「お嬢さんへの恋心」をうち明ける。しかし先生もまたお嬢さんを愛していたことに自ら気づいてしまい、先手を打って求婚し成功する。しかしそれを知ったKは自殺をするわけです。
その後先生と「お嬢さん」は結婚し「お嬢さん」は「奥さん」となるわけですが奥さんにはうち明けられない問題(つまりKの自殺の原因)で先生は煩悶(はんもん)する。そのころ明治天皇が死に話のきっかけから「殉死」という言葉が話題にでる。やがて実際に乃木将軍が殉死したことを知り自殺を決意し遺書として「私」という学生に送ったのがその手紙であった。これがあらすじです。

この「岩波文庫」版のあとがきで「『こころ』は読むたびに違った面が、そしてそれは現在の自身を反映している面が心に残る(大意)」と書かれています。私自身、最初に読んだときは中学生だったこともあり、Kの自殺の場面の凄惨さしか覚えていませんでした。大学生になって読んだときは帰省中の「私」が親と気まずくなる場面が鮮烈に身につまされました。(学生というのは常に「外部」に出ようとする運動を絶え間なく行っているため、親の「内部」とコンフリクトを起こしてしまうわけですね。)最近では、先生がお嬢さんを愛するようになった下りにいろいろなことを感じています。

柄谷は『漱石論集成』のなかで次のように述べています。「先生がお嬢さんを愛するようになったのはKが同居するようになってからです。というより、Kがお嬢さんを愛するようになったからですね(中略)Kが介在することによって、はじめて恋愛が成立したのです。すると、愛を意識した時は、すでにKを犠牲にしなければならない立場にあったのです。たんに三角関係における苦悩なのではありません。「愛」そのものが、三角関係によって形成されたのですから。」ここから柄谷はヘーゲルの欲望論へと話をすすめます。つまり「欲望とは他者の承認(認めてもらうこと、うらやましがられること)への欲望」なのであるから、「人を愛する」という欲望は、実にその人を所有することで他者から認められることへの欲望だということになるのです。こうして恋愛が成立する以上、恋愛とは必然的に「三角関係」を内在していることになります(特定の女性や男性が関係していなくとも「この人と一緒になれば人もうらやむ」という感情を指します)

子供はなぜポケモンが好きなのでしょうか?みんなが好きだからです。

なぜ女子中高生はアイドルに群がるのでしょう?みんなが群がっているからです。

欲望というのは常にそうした形式を取ります。

さらに貧富の格差が広まるということは、他者にうらやましがられる人々とそうなりたいのにそうなれずに怨嗟の念を心にため込む人々とを強烈に分けてしまう社会になるということです。この傾向が確実ならば、それをどうやって人は乗り越えていくのでしょうか?この本を読みながら、そんなことを考えています。

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池川明『ママのおなかをえらんできたよ』(リヨン社)

May 26th, 2006 fukao No comments

ママのおなか
実はこの本、じっくりと読んではいないのですが平塚の交流座で知り合った方(副白ゆり長さん)のことが載っているので紹介させてもらいます。この本は産婦人科医の著者が全国の産婦人科医から聞き取り調査を行い、子供たちの「生まれる前の記憶」、いや「おなかに入る前の記憶」を中心に収集したものです。彼女(平塚の知り合い)のお子さん(次男坊)もまた、こうした記憶を持っていたらしく、言葉が話せるようになるとこう言ったそうです。「僕は誰のおなかに入ろうか考えていた。そうしたらパパとママを見つけ、すごく優しそうだったんで、選んできたんだよ」って。

たしかにこうしたことには疑問を持つ人も多いかもしれません。しかし、たとえどんな親や環境に生まれついたとしても、それを「産んでと頼んで産んでもらったんじゃない」と拒絶するのではなく、「私は、願ってこの親と環境のもとに生まれてきたんだ」ととらえることはとても大切なことだと思います。そしてそれは、こう思ったからどうなるとか、それは客観的に証明可能であるというものでは決してなく、自分の決断でそう思い定めてその人生を生きていくという倫理的かつ実践的なものであることはいうまでもありません。

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アリストテレス『詩学』 (岩波文庫)

May 26th, 2006 fukao No comments

詩学
この本にはアリストテレスの『詩学』とホラティウスの『詩論』の古典詩論2編が載っています。私のように18世紀の古典主義文学を研究している場合はホラティウスの『詩論』もかなり重要になってくるのですが、一般的な読者はアリストテレスを読んでおけば十分でしょう。ここでアリストテレスは『悲劇』と『叙事詩』について述べています。もう一つの重要なジャンルである『喜劇』に関するアリストテレスの論は現在残っていませんが、この「失われた喜劇論」をベースに中世修道院を舞台として書かれた「衒学的推理小説」が『薔薇の名前』です。この小説とその映画についてはわずかですがブログで言及しています。

『詩学』がそれ以降の西洋文学に与えた影響は計りしれません。有名な「三一致の法則」(時間、場所、行為の一致)や「悲劇の筋立て」(はじめ、なか、おわりの分類)、「人物」よりも「筋」の重視、そして「カタルシス論」など、功罪合わせてその影響は近代文学にまで及んでいます。功の部分は劇一般に対して明確な構成原理、批評原理を与えたこと、さらに「カタルシス」のように論争含みではありながら、近代にまで通用する「用語」を生み出したことです。反対に罪の部分は一部の批評家たちが彼の原理を墨守しすぎて、その結果形式的な批評論が横行し、英文学(とりわけ18世紀)において闊達(かったつ)な詩や劇を生み出す阻害要因となっていたことが考えられます。

これは優れた詩や劇を生み出すための一種のマニュアル本として書かれたものです。従って用例も当時の具体的な作品に基づいているため、注釈を読むのがうるさく感じられる人もいると思います。しかし、その反面この「マニュアル本」が2300年の歴史を生き抜いてきたことに畏れを通り越して恐ろしさを感じませんか?現代の文学作品にも十分通用する普遍性を備えているんですから。いずれにせよ、アリストテレスを読むといって、いきなり『形而上学』などを読み出して挫折する(昔の私のようになる)よりも、この一冊を読んでよそで「アリストテレスを読みました」と吹聴してみてはどうでしょうか?(笑)

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