There are ways to get there
If you care enough for the living
Make a little space
Make a better place
Michael Jackson "Heal the World"
そんな(素敵な場所)へ行く方法ならある
生きているものに対して十分なケアさえできるなら。
少し隙間を空けてあげよう。
よい場所を作ろう。
震災関連のニュースで考えさせられるものが2つあった。ひとつは『「放射線うつる」といじめ 船橋市に避難した子ども』、もうひとつが「避難所に戻る高齢者たち 同居者に気兼ね、嫁の皮肉に嫁姑問題も」だ。どちらの出来事にも共通するのは「遠くにいているくれるなら十分応援するけれど、近くには来ないで」という人間の業と呼んでもいいような心理的傾向である。おそらく船橋の子もその親たちも、あるいは被災者の嫁も根っからの極悪人などではなく、震災について心を傷め、時に涙し、また寄付や援助なども行っていたことだろうと思う。しかし、それはそれ、これはこれという心境なのだ。
ニューヨークのハーレムという町がどうして出来上がったかご存知だろうか?あそこはもともとコケイジアン向けに高級住宅街として開発されたのである。確かにあのあたりのアップタウンはダウンタウンから遠い。しかし地下鉄の延長が計画されており、それを見越しての宅地開発であった。ところがこの延長工事が遅れに遅れ、地上といえばまだまだ馬車がメインの時代。朝の通勤時間にダウンタウンまで馬車を飛ばす人がなどいるはずもなく、住宅価格が低落。そこへユダヤ系移民が居を構え、やがてアフリカ系アメリカ人が住むようになると、もともと住んでいたコケイジアンが引越し、そこへまたアフリカ系の人が入る、この繰り返しで出来上がった街なのである。そこに働く心理もまた、「近くには来ないで」なのである。
人は自分にはあまり関係のない遠くでの出来事にはヒューマニズムを発揮できる。あるいは地震直後のように一種の熱狂的な時期ならば惜しみなく援助を行える。しかしやがて熱も醒めてくる。被災者もそうだ。最初は美味しかった炊き出しにも飽きてくる。リアルな日常に震災というものが根を下ろし始める。
じつはこの時から、震災との本当の戦いが始まる。
日常に震災の影響という違和感が少しだけ混ざる。しかしこの違和感こそが人をいらだたせ、時にはアンチヒューマニスティックな言動にさえ走らせる。この時、なにをもって自らを律するべきか?
冒頭のマイケルの歌にあるように、「少しだけスペースを空けて」あげるのである。心の中の6人がけの席を詰めてもう一人座らせてあげるのである。少しだけ給料や食べる量を減らすことである。前よりも少しだけ多めに働くことである。これはとても簡単なようでじつはもっとも難しいことではないだろうか。でも一人ひとりがこの心を持てれば、日本は、マイケルが歌うように、「よりよい場所」になると思う。
ただ私たち庶民よりもまず、政治家や資本家たちが率先しろよ、とは言い置いておきたい(笑)。