明るい表通りで

巷では "On the Sunny Side of the Street" (「明るい表通りで」)が流行しているのか、ここのところよく耳にします。ちょっと前に小野リサがCMで歌っていたかと思えば、最近では「クリア・アサヒ」という、たぶん私とはこれからも決して交わりあうことのない発泡酒というジャンルの飲物のCMに使われている。ダウンタウンの浜ちゃんがビーチバレーの浅尾美和嬢と組んだCM。この人綺麗だし、浅いと深いで浅からぬ因縁を感じて見ていたけれど、やっぱり「サニーサイド」がかかるとそっちに耳が行きます。

この歌は1930年、作曲 Jimmy McHugh 、作詞 Dorothy Fields によって生み出された名曲で、たちまちジャズのスタンダードとなりました。この歌は直接的ではありませんが当時の世相(世界恐慌)を反映したもので、特に後半のAメロの歌詞「一文無しでも、ロックフェラーのように大金持ち。明るい表通り(通りの日の当たるところ)なら足元に砂金があるのだから)という部分は、暗い世相でも明るく生きようとする息吹に満ちています。最近暗いニュースが相次いで世相も暗くなっているので、こういう歌が好まれるのかもしれません。

Grab your coat and snatch your hat,
Leave your worries on the doorstep.
Just direct your feet
To the sunny side of the street.

Can't you hear that pitter pat
And that happy tune is your step.
Life can be so sweet
On the sunny side of the street.

I used to walk in the shade
With the blues on parade.
But now Im not afraid
This rover's crossed over

If I never had a cent
I'll be rich as Rockfeller.
The gold dust at my feet
On the sunny side of the street.

この歌の決定的解釈は、おそらくサッチモのヴァージョンでしょう。能天気な歌ではなくペーソスが込められた味わい深い演奏です。いくつかの時代にわたって録音されていますが、私がよく聴くのはこの演奏。

そしてもっとも好きな演奏はレスター・ヤングのもので、かなり衰えた時期のモノながら、全盛時代以上の深いニュアンスで演奏しています。

モダン・ジャズになると、この曲を取り上げる機会は減りますが、おそらく決定版といえばディジー・ガレスピー、ソニー・ロリンズ、ソニー・スティットによるこのアルバムでしょう。

沙翁と紫陽花

東洋大図書館のB1でシェークスピアの関係の展示をやっているので行ってきました。

常設展示コーナーの一角。鴎外の稿本(の写し)が展示されていました。(クリックで拡大)

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マクベスの第2幕第1場、バンクォーとフリーアンスの会話の部分です。朱の注は "merciful powers" (慈悲深き天使達)についての考察です。

また、シェークスピア関連図書として小室金之助元学長の『法律家のみたシェイクスピア』が展示されていたので記念に撮っておきました。(クリックで拡大)
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帰り道、雨が降っていなかったので、白山紫陽花祭りに行きました。
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ガク紫陽花が心なしか去年より減っているような気がしました。

瀧野隆浩 『宮崎勤 精神鑑定書 「多重人格説」を検証する』 (講談社)

連続幼女誘拐殺人の宮崎勤死刑囚に対して死刑が執行されました。20年になるんですね。

彼が逮捕された頃はちょうど大学生で、場所は八王子、おまけに常人逮捕だったということで強く印象に残っています。夏の暑い盛りだったんですよ。もう、八王子警察の周りはマスコミでごった返し、ヘリも飛んでいたように思います。

やがて過熱する報道の中で「オタク族」という言葉がこの事件を理解するキーワードのように取り上げられ(彼の事件まで「オタク」という用語自体がマイナーで、私自身この事件をきっかけにして知りました)。大人になりきれないオタク族→屈折した性衝動→事件という図式が自明のように語られ、私自身も「そんなとこだろな」と思って済ましていました。

それから7年以上経ったある日、本屋の店先に積んである本書を見つけてたまたま手に取り、そして購入しました。著者の瀧野氏は毎日新聞の記者で、事件の頃はちょうど本町にある八王子支局に勤めていて、それ以来この事件の取材を続けていたそうです。

本書は長年の取材と多岐にわたる分析で簡単に紹介することはできませんが、その核となるのが次の一節です。

 捜査本部もそうであったように、検察側の主張も「異常な性欲=動機」説が基本になっている。つまり、成人した女性と付き合うことの出来ない20代の「おたく」の男がビデオ趣味に溺れ、幼女への異常な性衝動に突き動かされたーーというストーリーである。
 このストリーは非常に分かりやすかった。天皇がなくなって「昭和」という時代が終わり、時代はバブル前、リクルート事件で自民党の一党支配が動揺し始めた時期。漠然とした社会全体としての欠落感、不安感の中で、理解不能の彼をどうにかこうにか理解するための言葉が「異常性欲」だったのだろう。
 警察担当の当時の私もそう聞いて、分かった気になっていた。宮崎に「おたく」というレッテルを貼り、「我々と違う種類の人間」としてしまえば楽だったのかもしれない。
 ところが、鑑定書を読みながら私は愕然とした。宮崎の話を丁寧に聞いて書かれた鑑定書は全く雰囲気が違うのである。

以下、鑑定人とのやり取りが記載されています。私自身、著者と同様に「分かった気になっていた」のですが、これを読んでやはり同様に愕然としました。ここには、巷間言われていたような「異常性欲者」の面影もなければ、「偽りの狂気」も感じられません。そもそも「狂気」じみたところなどない、晩生の少年のような陳述だったからです。

私自身には、ここで展開されている「多重人格説」を云々する知識も経験もありませんが、本書は「多重人格説」を強力に推し進めているとか、あるいは死刑推進論者がよく捉え違えするように「故に死刑はいけない」と主張しているものではありません。柄谷行人が言うように、そして著者も服部雄一を援用しながら述べているように、「原因」と「責任」とを区別して論じているわけです。犯行の原因を吟味=批評することと、犯罪の責任を問うということは矛盾なく調和するはずです。

宮崎事件について知るだけでなく、そんなことを考えるヒントにもなる名著です。現在絶版のようですが中古で手に入ります。

「Firefox 3」公開、ダウンロード数は増加もサイトの混雑が続く

Mozillaは日本時間の18日、Webブラウザ「Firefox 3」の正式版を公開し、ダウンロード提供を開始した。公開に伴い、Mozillaのサイトへのアクセスに時間がかかる状況が続いていたが、Mozilla Japanではページを軽量化するなどの対策を行なっている。

 Firefox 3は、JavaScriptの高速化やメモリ使用量の削減など、パフォーマンスの向上を実現。履歴やブックマークからの検索が行なえる「スマートロケーションバー」などの新機能を搭載したほか、テキストやグラフィックの表示を改善した新たなレンダリングエンジン「Gecko 1.9」を搭載。ユーザーインターフェイスでも、各OSに合わせてデザインの変更などが行なわれている。

 MozillaではFirefox 3の公開に合わせて、全世界で「24時間以内に最も多くダウンロードされたソフトウェア」としてギネスブックの世界記録に挑戦するイベント「Download Day」を、日本時間18日の午前2時から開始。午前11時の時点でダウンロード数は250万を超えているが、公開直後からMozilla Japanなどのサイトにはアクセスが集中し、ページの表示に時間がかかる状況が続いていた。

 Mozilla Japanでは、Firefox 3の公開に備えてサーバーの増強などは行なっていたが、予想以上のアクセスがあったとして、トップページを軽量化するなどの対策を実施。また、Firefox 3のインストールプログラムの配布自体については、時間がかかる場合もあるが、ほぼ問題なく提供できているという。Impress Watch Headline

わが家のパソコンにも firefox 3 をインストールしました。日本では18日の深夜2:00amから。さすがに起きていられなかったので、朝5:00に起きてダウンロード+インストールしましたがトータル1分ぐらいでインストールできましたよ。

まだ使い込んではいないのですが、さすがに速い!綺麗さではsafariに一日の長があるように思いますが(事実「firefoxでsafari風な文字にしたい」というサイトがいくつか見つかりました)、速さでは互角以上。拡張性やセキュリティーなどはどうなのでしょうか?いろいろ試し試し使っていこうと思います。

画面の見映えはこんな感じ
firefix screen

千石自慢らーめん

去年の11月以来の課題だった「千石自慢らーめん」をやっと食することができました。

以前定休日と知らずに行って喰いっぱぐれた事は「昼飯の竜頭蛇尾」に書いたとおりですが、その後行ってみたものの、長蛇の列が出来ていたりして戦意を喪失し、引き返してきたことが1?2度ありました。今日は土曜日なので開いており、おまけに暑かったせいか列も出来ていなかったので入ることに。

sengoku ramen1

初めてなので、とりあえず全部入り、オールインワンを頼んで待つこと15分(どこかのブログにも書いてありましたが、この店のシステムはお客が注文したら作るのではなく、ある程度注文が溜まってから一気に作るようです。だからそのセッションの最後のほうならすぐ来た感がある一方で、最初のほうの人は待たされた感が十分なわけです。私は真ん中よりちょっと後だったようで、おまけに麺硬めだったせいでわりと早く来た感じがしました。)

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全部乗せとは「チャーシュー」「メンマ」「モヤシ」「海苔」「鶏ロースト」「角煮」「味付け卵」が乗っています。直前に学生さんから「かなり脂っこいですよ」と教えられていたので、「脂少なめ」と注文したんですがそれでも背脂が一面に乗っていてオイリーでグリージーでした。店員も「はい、脂少なめ」と言って出してきたのでこういうものなんでしょう。

麺は太麺でスープは醤油とんこつ。わりと平板な味で脂で食べさせる感じです。角煮の味が濃かったのですがモヤシと調和して美味しかったです。チャーシューは一枚ぎりしか乗っていませんでしたが、トロチャーシューであっという間に溶けていきました。チャーシューとは反対に煮卵は半熟ではなくハードボイルド。ハードボイルド派の私としてはOK。

しかし、なんといっても白眉はローストチキンで、皮の焦げた感じが美味しく、追加注文したくなるほど。

食べ終わったらスープの表面が背脂で真っ白だったので、飲み干さずに残しました。

背脂に苦戦しながら食べていると、後ろで「脂多め」とか言っている人がいて、気になって振り返ってみると凄く痩せた人でした。まったく世の中分からないものだと思いました 🙂

有楽町で学びましょう?♪そして、銀座でフフンの巻

下の記事にも書いたように、今日は有楽町で学会の講演会があり聴きに出かけました。「国際日本文化研究センター」という学会の講演会で、テーマはずばりジャズ喫茶。「日本のジャズ喫茶文化 ―反懐古趣味の視点」という演題でした。

講演の内容はジャズ喫茶論というテーマは興味深かったものの、普段研究を生業としている人間にとっては当然の方法論と視点に終始して、特にユニークなものはありませんでしたが、講師マイク・モラスキー先生は非常にユニークな方で、本業のかたわらライブハウスでジャズ・ピアノを夜な夜な演奏しているそうです。

また、私がずっと考えている「場のグルーヴ」についても非常に示唆的な話があり、刺激になりました。

マイク・モラスキー先生の著作と演奏
 
講演会では後半「武士道」をテーマとしたものがあったのですが、「武士道」になぞ興味がない町人で、そもそも「サムライ」なんて電通の作り出した、もう一つの新しいキャッチコピーとしか見ていない私としてはなんだか聴く気になれず、ならばいっそのこと久々に銀座を歩こうということで繰り出しました(レジュメを見るかぎり、講師の先生の話はそんな薄っぺらい、プチナショナリスティックな話ではなさそうでしたが)。

いつも行っていた三愛の丸いビルの「トワイニング・ティーサロン」がなくなってました。代わりに1?2階を使ってドトールが「ちょっと銀座的なドトール」を展開していて、喫煙席もあったのでアイスコーヒーを注文して窓際の席に陣取りました。

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4?5丁目の交差点。和光は工事中で寒冷紗みたいな幕がかけられていました。

その後、あちこち撮って回ろうと思ったら、不味いことに電話の充電が切れかけている。残りの電池で銀座のau-shopを検索して8丁目にあることを突き止めて行きました。30分程度充電してもらっている最中に寄ったのが「Mブラン銀座ブティック」。

世間的には評判なのかもしれないけれど、文房具マニアからは酷評されている「M社銀座ブティック」ですが、結論から言うと文房具マニアの言うとおりでした(私が文房具マニアだからかもしれません)。まず一階からして感じが悪い。メインは時計とアクセサリー、そして偽装まがいで指導を受けたF社のシステム手帳ばりのSテム手帳のオンパレード。一気にげんなりします。

2Fはそれでも筆記具を扱っているのですが、ここの店員がなんだか勘違いしたような、若い兄ちゃん。「何かお探しでしたら、対応いたします」「いえ、ただ見ているだけですから」、「フフン、失礼しました」。

フフンが失礼だっつうの!たぶん、この兄ちゃんよりも私のほうがモンブランの万年筆を使ってモジやブンを書いているんだろうに、何でこんな「フフン」されなきゃいけないのさ、フフン!まあ、落ち着け自分、という感じでした。

そうこうしているうちに充電も出来上がったようで、auショップによって電話を貰い、意趣返しとばかり「Mンブランブティック」を撮ってやりましたよ。

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銀座はいい町ですがなかなか出る機会がありません。以前、マイミクのよの字さんとライオンでビールを飲んだのが最後か、それともグレンロイヤルの革鞄を直してもらいにシップスに行ったのが最後か忘れましたが、しばらく行ってませんでした。

今回行って驚いたのは行き違う中国人の多さ。多分この写真の60%は中国人ではないでしょうか。

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私は「だから中国人は」と短絡的に考えるおっちょこちょいには属していませんが、彼らの四川の同胞が苦しんでいる最中に「プラダ」「フェラガモ」でもアルマーニと思いました。もちろん、このことは中国から来ている知り合いのインテリゲンツィアにも伝えておきたいと思います。

バブル絶頂期にパリでブランド品を買い漁っていた日本人を彷彿とさせました。

一度行きたい店

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白山で一度行きたい店があります。

上の写真の江田珈琲店。店は大学から本駒込に行く道すがらにあり、店の前を通るたびに寄りたいと思うのですが、本駒込に行く時はそれなりの用件があるので、いつも寄られずじまいです。

今日は有楽町で学会があるので、本駒込をまわりました。

鉄ちゃんではないけれど

テレビでタモさんが「俺は電車に乗っても、ずっと先頭車両の窓から外を眺めているからあまり気づかれない」と言っていましたが、鉄ちゃんではない私でも、運転士席の窓の外を流れる風景はなんかロマンを感じます。しかし、ロマンよりも睡眠、詩情よりも休息ということで、普段は出来るだけ席を確保してそこで本を読んだり寝たり、また本を読んだりしながら車上ライフを過ごしているわけです。

今日は用事があったので京王線周りで帰宅しましたが、高幡不動を過ぎたらめっきり乗客が少なくなり、目の色変えて席を確保しておく必要もなくなったので、立ち上がって運転席の外へ向けて写真を撮りました。

長沼駅へ近づく時、道路の用語で言うと"サグ"というのでしょうか、いったん下ってまた上る状態になっていることが乗っていても感じられますが、実際に見るとこうなっていました。

to kitano

そして、北野を通り過ぎて京王八王子に向かうあたりで、延々とアールが続いて遠心力が感じられる場所があるのですが、見てみるとさほどでもない。

to hachioji

ただ、この感じがしばらく続くので、「一周回ってんじゃないかしら」と思えるほど。

中央線でもトライしたいのですが、あの電車はいつも混んでいるし、隙を見て席を立つなどしようものならあっという間に他の人に奪われてしまうという、生存競争の激しいラインなので、なかなか出来ません。