diary

折れた小指(5)

術後ケア
手術の時、「差し込んだピンを埋めてしまう方法と、先端を表に出しておく方法があります。埋めれば風呂にも入れるし、手も洗えます。ただし抜くとき再び切開する必要があります。一方、先端を出しておくと手は洗えませんし、お風呂につけることも出来ません。また週に何度か消毒に通ってもらいます。ただし、抜くときは一瞬です」と、さあどっち的に訊かれ、切開で再び同じような手術が嫌な私は、出しておくバージョンを選択。

「麻酔切れると痛みますから」と痛み止めのロキソニン、あと抗生剤のフォルモックスを処方された。痛みは幸い大したことなかったが風呂と洗い物が超面倒。とはいえこんなもんだと納得しつつ、週2ぐらいで消毒に通いつつ、普通の生活に戻る。

化膿
2週間目にレントゲンを撮ったら、まだくっつき初めてもいないので、ふたたび包帯の日々。そんなある日のこと。私は元々外耳炎持ちで、変に湿度が高いシーズンになると耳がかゆくなる。ところが今回は痛い。綿棒でいじってみると膿んで腫れている感じ。

「待てよ、体全体の白血球的なものが菌と戦い、耳は菌に負けているんだから、指の傷跡が菌に負けていないってことはない」と否定の連続で考えて、翌日消毒に行って包帯を取ってもらうと、ピンの傷口の一方が白く膿んでいる。

「ちょっとこれは奥まで行く前に抜いちゃいましょう」といつもと違って緊迫した声の名嘉先生。あっという間にペンチが用意され、気づくまもなくシュッという感じで一本のピンが抜かれた。
「抗生剤も出しておきますから、明日もう一度見せに来てください」と言われる。翌日見せる(というかこっちが見たい気満々なんだけれど)と傷も塞がって腫れてもいなかったので、ひとまずほっとした。

フォルモックスが効いてきたのか外耳炎も治まったが、どっちからどっちへ影響したのだろう?

折れた小指(4)

手術
白山の学校でも学生に話して笑われ(/_;)、同僚の先生に話して「是非手術を受けなさい」と励まされたりした。ある先生は姑の介護中に人差し指を骨折し、介護の忙しさで病院にも行かなかったら指が曲がらなくなったと、その指を見せて励ましてくれたりした。そうした声に背中を押され2時過ぎに八王子に着き3時からの手術のため病院に。

手術室は地下にある。この時点で「手術に失敗したときそのまま闇から闇へと葬り去るために地下なのではないか」と勘ぐり始める。手術服に着替えさせられ、手術台に寝かされる。ナースたちはこちらをリラックスさせようといろいろ話しかけてくれるが、上の空。そのうち心電図や脈拍を計る電気的なものを貼り付けられ医師の到着を待つこと数十分。

まず麻酔ということで、脇の下に注射を打つ。これはライン麻酔といって五指に通じる神経の付け根を狙って麻酔をかける技法だそうだ。
「まず、小指に電気走りますから、そしたら言ってください」
ふむふむ、電気ね、発電に使えたらいいの、、、ギャー、イタタタタ><
「はい、麻酔入れます」
ふう
「次、中指に同じような電気が・・・」
待てい待てい、一発目は何が来るか分からず抜き打ちだったから我慢できたが、同じものが来ると分かって待つのかい??志ん生も「昔は急に嵐が来て、嵐だってことになったが、いまは来る前から嵐が来ると分かっているから、待ってる間も・・・」
「ちょっと力抜いてください」
「あの痛さ経験したいま抜けるか、アホ」と心の中で唱えつつ、「あ、はい」と曖昧な返事をしているさなか、第二便到着、ぎょえーー。
「次、親指行きます」
「いえ、来なくて結構です」
「親指は、神経の周りに注ぐのでさっきみたく痛くないですから」と言っている間に行ったみたいで、気づかないうちに終わっていた。

やがて麻酔も効いてきて、左手が他人の手になったので手術開始。

ところで、よく考えれば当然だが、手術室というところは医師やスタッフ、患者をリラックスさせるために音楽が流れているんだね。私の時は徳永英明の『ボーカリーズ』。私としては「セントジェームス病院」でも流れていた方が気分が出たのだが、プリプリの「M」なんか流れていい感じで聞き惚れていると、手術開始とともに流れてきたのが沢田知加子オリジナルの「会いたい」。これ恋人が急死する歌で、若い恋人の急死って言ったら交通事故か手術ミスでしょ?「ナースさん、オレ死ぬんかな?」という渾身のボケを軽いタッチで流され、あっという間に手術終了。遠くでドリルが回っている音がしただけだった。その時間およそ10分。手術の執刀医は諸橋先生だったが、そばに名嘉先生もいて「宗教上の教義に反しませんでしたか?」と聞かれたので、正直に嘘だったと話すと、「やっぱり」。やっぱりこの先生侮れんわ。

折れた小指(3)

手術前日
火曜日に仁和会に行くと、紹介状特権というのかさっそく診てもらえることに。

「これは手術した方がいいですね。指というのは変なくっつき方するととてもやっかいなんですよ。」と、断るつもりが顔に出ている患者に向かって名嘉先生が断言する。

むむ、敵はこっちの気持ちを読んでかぶせてきたな。ならば奥の手。

「あのう、宗教上の理由で手術は禁忌(タブー)なんです」
どうだ、宗教上の理由に勝る理由はないだろ(・∀・)きのう大学で考えたんだ。

「輸血もないし、切開もない、ただ上からピンを刺して折れたところを固定するだけですが、そんな手術を禁じる宗教ってどこですか?」

んが、こんな突っ込みあるのかい?そもそも「西洋世界では宗教上の・・・」と考えて気づいた。ここは東洋世界であったのだ。だから靖国とかなし崩しで・・・などと考えているうちにしどろもどろになり、
「えっと、その、まあ、あのそういう手術とは知らなかったもので、わっかりました、受けます」と分かったことをはっきり伝える口調で返事をした。

その後心電図だの肺のレントゲンだのを撮られ、手術は翌日と決まった。翌日は水曜日。朝1限から白山の大学だ。休もうかとも思ったが、それこそ学生や同僚の先生から「勇気をもらう」ために出講し、午後八王子に戻ってから手術を受けられるよう手配した。

折れた小指(2)

骨折
翌日起きてみてみると、まだ腫れが引いてない。これは平先生行き決定。午後から丹木町の大学なので、午前中に行ってしまおうと9時ぐらいに行くと、もうお年寄りで満員。受付嬢にどれぐらいかかるか尋ねると、「多くの人がリハビリなので30分ぐらいですよ」と言われ、大人しく待つことに。

ところが10分もしないうちにレントゲン技師らしき女性が呼びに来てくれたので「最近の病院は手際が良い.感心感心」とレントゲン室に入ると、

「右足ですね?」
??
「いえ左手です」
「あっ、えーと?靱帯ではないのですか?」

そう、数年前の靱帯の件で来たと思われたのだ。数年前側副靱帯裂傷という、小規模の怪我のわりにややこしいサポータをつけなければならない怪我をしたのである。

「ではもう少しお待ちください」

ということで、今度はたっぷり40分待たされたあと、レントゲン、診察ということで平先生から「骨折ですね、手術が必要ですから仁和会の紹介状を書きましょう」。

ちょっと・・・いま、診断と治療方針をワンフレーズで言い切りませんでした?
「あの、手術はちょっと・・・」
「ま、それは仁和会の先生と相談して決めてください。手術なしって可能性もありますから」
と、可能性を微塵も感じさせない口調でおっしゃる。

「うぇあっかりました」と、こちらも納得したことを微塵も感じさせない口調で返事したが、先生はナースに何か指示していて聞いていなかったようだ。その後ナースに包帯と三角巾をセッティングされて診察終了。

ということで、紹介状込みで9千円支払って、店を出た。仁和会には翌日行くことにした。

大学では学生が「どうしたんだ、どうしたんだ」の嵐なので、事情を話すが、話が巧みなので(・∀・)爆笑されてしまった。ほんとうは同情されたかったのに。ま、嘘だけれどね。手術はあくまでもいやだったので、同僚の先生と話しながら「医師に無理矢理勧められた場合、宗教上の理由で・・・」で断ることにしようと決めた。これは西洋世界においてはなかなか強力なエクスキューズとなるのだ。むはは。

折れた小指(1)

指の怪我もほぼ完治して、キーボードを普通に打てるようになったので、今回の怪我の顛末について記しておこうと思う。

きっかけ

5/27(日)、いつものようにサックスの練習をした帰り、大横町の交差点を通りかかったら、いかにもって感じの小型の男がさらに小型の女を殴っていた。いわゆるDQNである。それだけなら私も見て見ぬふりをして通り過ぎるところだったが、子供がそばにいて大泣きし、車道に飛び出たりしているので危険であった。そこで子供を歩道に連れ戻し、その小型カップルの仲裁に入ったところ、突然殴りかかられた。

咄嗟のことではあったが、なんとか左手で拳を防ぎ、右手に持っていたサックスケースで相手をボコンと殴り返したらひるんだようで、捨て台詞を残して去って行った。

家に帰って落ち着いてみると、左手の小指の付け根がなんとなく痛い。少し腫れて熱も持っているようだ。日曜の夕刻なので開いている病院もなく、それほど痛くもなかったので、明日平(たいら)先生に診てもらおうと決め、就寝する。

にしても、あの女房。まあ、DVから助けたというか救ったわけなのに、去り際「うっせんだよ、あっち行けよ」と旦那に殴られて腫れた顔で泣きながら、私に毒づいて来やがった。共依存である。

素晴らしき日曜日よりの使者

ちょっと前に話題になった出来事だが、明石家さんま、島田紳助、ダウンタウンらが被災地へ向けてメッセージを送る企画があった。

さんまはさんまらしく脱力系で明るく前向きに、紳助は彼らしく偽善的な、浜ちゃんは浜ちゃんらしくひたすら前向きなメッセージを書いていた。

しかし、まっつん

AC~♪

天才って言葉、あまり使いたくないけれど、彼には当てはまるでしょう?悪いけれど他の人のメッセージがかすんでしまう。

しかも彼のメッセージには二重の仕掛けがあって、震災の影響でやむを得ずAC広告だらけになったことに対して、クレームつけた連中に対する批判ともなっている。わたしもこの「AC広告に批判~耳につく」って記事を読んだ時、

「そこかよ!?」

と思った。これ、いまじゃない、震災後一週間とかそれぐらいの頃の出来事。「この時点でそこに突っ込むのかよ!?」ってかなり違和感を感じた。まっつん風に言えば、「糞不味い料理出されているのに、それが『熱い』ことに文句言う」ような見当違いっぷり。

この辺の下らなさを風刺しつつ、やはりあのAC~♪は流れ過ぎだったし、耳につくし、それはひょっとすると被災地のシェルターでテレビを観ていた人にも共通する感情だったのではないだろうか?

浜田の優等生的なメッセージ対してもぴったりとはまった会心のボケだと思う。

馬鹿の買い物(4)大たわけ編

ここへ来て、また馬鹿の買い物をした。

Bird: Complete Charlie Parker on Verve
既にヴァーヴ時代のパーカーのマスターテイク全集は持っているが、そこにはJATPのライブ盤が入ってなくて、いまひとつコンプリート感がなかった。こちらはそうしたライブ音源を含めて網羅されており、まあとりあえず買ってしまえという感じで注文した。

商品イメージとしてレディー・デイのコンプリートBOXを想像していたら大違い。やたらに大判なダンボールに入って到着したので開けてみたら、LPボックスより少し小さいだけの大型なボックス。

中身はこんな感じでCD3-4枚ケースが3つ収まっている。

そして大判ブックレットつき

パーカーのCDやレコードは初動を間違えると重複したり抜けがあったりで効率的に揃えづらいので、こういうの買ってしまうのもありかも。とはいえ、私の場合LP,CD含めもう何通りも重複させているので、やはりこれは大たわけの買い物なのである。内容はまたジャズブログで折を見て書く予定だが、一枚目冒頭一曲目の "Sweet Georgia Brown" の異様な音の良さに仰天した。

Heal Japan

There are ways to get there
If you care enough for the living
Make a little space
Make a better place
           Michael Jackson "Heal the World"
そんな(素敵な場所)へ行く方法ならある
生きているものに対して十分なケアさえできるなら。
少し隙間を空けてあげよう。
よい場所を作ろう。

震災関連のニュースで考えさせられるものが2つあった。ひとつは『「放射線うつる」といじめ 船橋市に避難した子ども』、もうひとつが「避難所に戻る高齢者たち 同居者に気兼ね、嫁の皮肉に嫁姑問題も」だ。どちらの出来事にも共通するのは「遠くにいているくれるなら十分応援するけれど、近くには来ないで」という人間の業と呼んでもいいような心理的傾向である。おそらく船橋の子もその親たちも、あるいは被災者の嫁も根っからの極悪人などではなく、震災について心を傷め、時に涙し、また寄付や援助なども行っていたことだろうと思う。しかし、それはそれ、これはこれという心境なのだ。

ニューヨークのハーレムという町がどうして出来上がったかご存知だろうか?あそこはもともとコケイジアン向けに高級住宅街として開発されたのである。確かにあのあたりのアップタウンはダウンタウンから遠い。しかし地下鉄の延長が計画されており、それを見越しての宅地開発であった。ところがこの延長工事が遅れに遅れ、地上といえばまだまだ馬車がメインの時代。朝の通勤時間にダウンタウンまで馬車を飛ばす人がなどいるはずもなく、住宅価格が低落。そこへユダヤ系移民が居を構え、やがてアフリカ系アメリカ人が住むようになると、もともと住んでいたコケイジアンが引越し、そこへまたアフリカ系の人が入る、この繰り返しで出来上がった街なのである。そこに働く心理もまた、「近くには来ないで」なのである。

人は自分にはあまり関係のない遠くでの出来事にはヒューマニズムを発揮できる。あるいは地震直後のように一種の熱狂的な時期ならば惜しみなく援助を行える。しかしやがて熱も醒めてくる。被災者もそうだ。最初は美味しかった炊き出しにも飽きてくる。リアルな日常に震災というものが根を下ろし始める。

じつはこの時から、震災との本当の戦いが始まる。

日常に震災の影響という違和感が少しだけ混ざる。しかしこの違和感こそが人をいらだたせ、時にはアンチヒューマニスティックな言動にさえ走らせる。この時、なにをもって自らを律するべきか?

冒頭のマイケルの歌にあるように、「少しだけスペースを空けて」あげるのである。心の中の6人がけの席を詰めてもう一人座らせてあげるのである。少しだけ給料や食べる量を減らすことである。前よりも少しだけ多めに働くことである。これはとても簡単なようでじつはもっとも難しいことではないだろうか。でも一人ひとりがこの心を持てれば、日本は、マイケルが歌うように、「よりよい場所」になると思う。

ただ私たち庶民よりもまず、政治家や資本家たちが率先しろよ、とは言い置いておきたい(笑)。

Twitterとカレー

震災だけだったら、もう復興にベクトルを向けてもいい時期なのだが、あの忌まわしき巨大プラントという棘が微細な毒素を大量に放出しているということでなかなか気が休まらない昨今である。

震災や人工怪物の情報をいち早く知るという目的でTwitterをはじめてみた。とはいえはじめたばかりで、いまひとつ書き方も分からずに情報を受け取るいっぽうだったが、ようやく仕組みがわかって意味不明なことをつぶやくところまでこぎつけた。もっとも、意味不明なのはこのブログも一緒なのであるが。

そこで最近Twitterで紹介されていたカレー屋に行ってみた。八王子駅南口にある「スープカレー 奥芝商店」である。かなり有名な店らしく札幌、旭川、そして八王子にある。私が行った時は震災の影響か供せないメニューもあったが、リストのわりと上のほうにあった定番的なものを頼んでみた。「エビスープ+柔らかチキン」

辛さの中にエビの旨みが効いていて、美味しい。この唐辛子はかなりの難敵で、これを齧ったあとしばらく舌が火を噴いていた。辛いものは得意なほうなのだがそれを上回る辛さ、唐辛子本体はね。スープ自体はちょうどよい辛さであった。

トータルでかなりいい店なのだが、ボブ・ディランが流れていたり、テレビがブラウン管の白黒だったり、なんと言うか、主張が強すぎるところが玉に瑕。「分かるけれど、そこまで主張しなくても、十分とらまえているよ、言いたいことは」ぐらい言いたくなる。味はホンモノなので、こういう趣向を軽くスルーできれば十分に行く価値のあるお店である。

ちなみにTwitter IDはcat_fukaoとした。

疑問の残る宿題

八王子の某私立高校の春休みの英語の宿題が、英字新聞の地震の記事を読んでまとめ、その感想を書くというものだそうだ。

しかし、これはちょっと不適切ではないか?不謹慎というのではない。だがこの地震と津波、そして原発の問題は現在進行形の災害であって、決して終わった=物語化されうる歴史ではない。こうした情報に晒され過ぎることによって引き起こされるPTSDも危惧される。そして、もっとも気になるのは学生の中に親族が被災していたり、家族に東京電力関係者がいた場合、彼らの気持ちを著しく傷つけることになるのではないかという点だ。1年経てば乗り越えられるようになるかもしれない。2年経てば言葉に直せるかもしれない、10年経てば思い出として語り合えるかもしれない。50年経てば、歴史の証言となるかもしれない。

しかし、それを今やる必要があるのか、はなはだしく疑問に思った。