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K. Fukao

突貫工事

東洋大での明日の仕事と、創価大での来週の授業がそれぞれ休講で、ちょっとしたプチ連休になったので、突貫工事を行いました。

ウェブのほうの"My Interests"と学生ページの"FAQ"をそれぞれブログ形式にしました、といっても一見分からないんですけれどね。これまで、それぞれのページを更新すると、ページ本体からインデックスまで、およそ4箇所を同時に更新しなければならなくて、正直面倒くさいと思っていました。ブログスタイルならエントリの更新一発で全体を変更できるので、これからはバリバリ発表していくつもりがなくもないです(笑)。

なるほどこのウェブログにまとめてしまうことも考えたのですが、そうなると雑多になりすぎて、たとえばMIXIの日記におよそ日記とは思えないようなレビューや考察が送られることになる。これも回避したい。ということで、Movable Typeでブログを増殖させて"Weblog", "My Interest", "dia-log"の3ブログを作り、ちょうどいい感じに構築できました。願わくば、これまで同様ジャズのページとそれ以外のデザインを分けたかったのですが、やり方がよく分からなかったので統一デザインにしました。Movable Typeのカテゴリごとにデザインを分ける方法をご存知の方がいたら、ご教授ください。

ブログスタイル化にともない、これまでとURLが変わりましたがトップページから順に踏んでいけば特に迷うこともないと思います。

また、独自ドメインも取ったのでそちらも報告します。http://fukao.info/になりました(これまで通りのhttp://fukao.skr.jp/でもまったく大丈夫です)。お手数ですがブックマークやリンクの張替えをお願いします。といっても引越しをしたわけではなく、これまでのページに新ドメイン名を割り当てただけです。ただ引越しを念頭においているのは事実です。ブログの再構築などSQLサーバーに割り当てたほうが早いという話ですが、私の借りているレンタルサーバーのプランだとBerkley DBしか使えないんですね。そこで上位プランへの移行を考えたのですが、ちょっと時期尚早かなと思い、ドメイン取得だけにしました。これでドメインが浸潤してきたらまたサーバーのグレードアップを検討しようかなと思っている次第です。

中島敦 『李陵・山月記』 (新潮文庫)

李陵・山月記

中島敦を知ったのは、他の人と全く同じように高校の国語の教科書で「山月記」を読んだ時でした。最初は漢語ばかりで教科書の下段にあった注釈もうるさく非常に取っつきづらそうな印象で、むしろ心に残ったのは章末に載っている中島本人の写真、牛乳瓶の底のような眼鏡が特徴のあの写真でした。しかし、声に出して何度か読んでみると非常に調子がいい。「隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」とか「厚かましいお願いだが、、彼らの孤弱を憐れんで、今後とも道塗(どうと)に飢凍(きとう)することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖(おんこう)、これに過ぎたるは莫(な)い」なんていう一節を読むと、その前進的なリズムに魅せられるわけです。

この文庫は中島の作品の中から「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の4編を選び出した短編集で手軽な一冊です。「山月記」は唐代の李徴が虎になってしまう一種の変身譚が、上にも引用したように漢文学的なリズムと筆致で描かれています。自らが虎に変身してしまうまでの告白には男の生き方について深く考えさせられる思想が、時に漢語、時に撞着語法、時に対句を用いながら説得力をもって語られます。人間であった頃の自分を振り返り、李徴は「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々とし瓦に伍することも出来なかった」と語ります。この「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」というのは一見オクシモロン(撞着語法)に見えますが、良く考えれば自尊心とは時に臆病さが反転したものであり、羞恥心ゆえに尊大に振る舞う人が多いことも理解できます。そしてこの一編の核心的な一節に至ります。

人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

次の「名人伝」は「道」というものの深さを描いたと言えばそうなのかも知れませんし、その背骨にはいわゆる老荘思想があるのかも知れませんが、用いられているイメジからするととても滑稽な話としても読める一編。主人公紀昌は弓の名人になりたくて、飛衛という名人を訪ねると、瞬きをしない訓練を命じられる。すると刻苦勉励してついには目に蜘蛛の巣が張られるまでになる。今度はものを見る訓練を命じられると蚤を飽かず眺め続け、ついには馬ほどにも見えるようになる。こうなると、邪魔なのは師匠飛衛の存在。これを除こうと弓の勝負を持ちかければ、飛衛も我が身が危ないと分かり、弟子の気を他へ転じさせるため、さらなる弓の名人甘蝿老人を紹介し難を避ける。紀昌はこの老師を訪ね、ついには弓の名人中の名人、芸道の深淵を身につけるという話です。なんとなく滑稽感が漂うものの、そこにわずかな皮肉や諷刺もない飄々とした物語が魅力的です。

「弟子」は孔子とその弟子、子路を描いた短編で、一続きの物語というよりも、断片的なエピソードで綴られています。子路は孔子の弟子の中でも特に変わり者だがまっすぐな男で、その心の奥底には単純だけれど深い一つの疑問が横たわっているのです。それはなぜ「邪が栄えて正が虐げられるのか」という疑問です。こういう真っ直ぐな男ですから、師弟の道もまた純粋なもので、「後年の孔子の長い放浪の艱苦を通じて、子路程欣然として従った者は無い。それは、孔子の弟子たることによって仕官の途を求めようとするのでもなく、また滑稽なことに、師の傍に在って己の才徳を磨こうとするのでさえもなかった。死に至るまで変わらなかった・極端に求むるところの無い・純粋な敬愛の情だけが、この男を師の傍に引き留めたのである」と述べられています。この人物像を読むと、私は司馬遼太郎が『項羽と劉邦』の中で描いた平国候候公を思い起こします。彼もまた「食客」に徹して一種の客哲学みたいなものを信奉していた変わり種でした。こうした純粋さは、滅多に見られない徳であるため高く評価されますが、同時に純粋性というものの持つ融通の利かなさが悲劇をもたらします。子路も候公も少し悲しい末路を迎えることになります。いずれにしても「弟子」は「弟子のあり方」について深く考えさせられる作品です。

最後の「李陵」は、武帝の時代に対匈奴最前線に送られ、善戦するも捕らえられてしまい、讒言によって妻子眷属を刑戮された前漢の将軍李陵と、彼を満座の中で弁護したために宮刑に処されるも、その苦難をバネに『史記』を書き上げた司馬遷の物語です。この短編もまた非常に印象深い作品です。李陵が匈奴に下ったという噂が流れ、武帝が激怒するや、その顔色を見た群臣が口々に李陵を罵ります。しかし「今口を極めて李陵を讒誣(ざんぶ)しているのは、数ヶ月前李陵が都を辞する時に盃をあげて、その行を壮んにした連中で」あったし、「漠北からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えた時、さすがは名将李広の孫と李陵の孤軍奮闘を讃えたのも又同じ連中で」あったのです。このことに疑問と憤りとを感じた司馬遷は下問を受け、はっきりと李陵を弁護し変節の群臣達を「全躯保妻子の臣(躯(からだ)を全うし妻子を保つの臣)」と罵倒し、このため宮刑(男性の生殖器官を切り取る刑罰)を受けることになります。現代にも、そして私の周りにもこうした群臣のような連中はたまにいます。それまで「立派な人だ、凄い人だ」と褒めちぎっていたにもかかわらず、何かの不運に巻き込まれて、たとえば「哭いて馬謖を斬る」ような目に遭うや掌を返したように、悪口を言い始める連中です。こうした「全躯保妻子の臣」はいつの時代にもいると共に、自ら「私は偽物ですよ、皆さん」と語っているに過ぎないのす。決して信用できない人間であることを自ら告白しているのです。こういう人間には決してなりたくありませんよね。司馬遷への迫害とそれを克服して『史記』を完成させるドラマについては『語らい』の「迫害と人生」でも語られているので、ご存じの方も多いでしょう。

漢語も多いのでなかなか骨の折れる作品ですが、短編という体裁と物語という形式、そして思想に深みがあるので、案外に読みやすくはまりやすい作品集だと思います。また岩波文庫の『山月記・李陵 他九篇』のほうはもっと収録作品が多いので(上の4編に加えて7編)こちらもお薦めです。ぜひ読んで下さい。ところで、冒頭に述べた中島の写真、私はいつも滝廉太郎とイメージがかぶってしまい、いまだに混同し続けているのですが(笑)。

リーガル・パッド(legal pad)

知り合いの文房具店主と話していたら、最近レポート用紙が売れなくなってきていると言っていました。たしかにパソコンやワープロの普及のため、レポート用紙で手書きレポートを提出してもらうということはかなり少なくなってきました。けれども授業で各自で紙を用意して提出してもらうときなど大半の学生がレポート用紙を使っているから、全く使われなくなったというわけではなくて絶対的消費量が減ってしまったのでしょう。私自身レポート用紙を買わなくなってもう10年以上になります。

レポート用紙に代わってよく使うようになったのがリーガル・パッド(法律用箋)と呼ばれる黄色いパッド(はぎ取り式ノート)です。

legal pad
上の写真は伊東屋のリーガル・パッドですが、なぜ黄色なのかというと、正式な文書(最終稿)である白色と区別し、まだ書きかけの草稿であることが一目で分かるようにするためだと言われています。たしかにこの色分けは便利で、私のように年がら年中机上が散らかっている人間にとっては本当に助かります。これまでは、都心へ出た折りに銀座や新宿の伊東屋で買っていましたが、今度Ito-ya e-STOREというネット通販の店舗が出来たようで、買いやすくなります。八王子のヨドバシカメラではMeadのビュートンリーガル・パッドを大安売りしていましたが、いつの間にか店舗に置かなくなったのでわざわざ取り寄せるかネット通販を利用する必要があります。ソニプラでも時たまMeadのリーガルパッドが置いてありますが、これもまた不定期です。

用途としては会議や話し合いなどでのメモ、ペーパーやノートを作成する前段階のブレイン・ストーミングなどが考えられますし、私自身もっぱらブレイン・ストーミングに利用しています。しかし、こうなるとC/P比が重要になってきます。伊東屋製が一冊600円ぐらい、ソニプラもそれぐらいでした。一方ヨドバシは50sheetsが4冊で400円と非常にお値打ちです。消耗品ですからこれぐらいの値段で手に入れたいと思っていますが、名前から分かるとおり、リーガルパッドとは本来金満の弁護士が使うものなので、どうも贅沢品のような位置づけになっているのだと思います(笑)。

ノート(notebook)

ここでいうノートとは大学ノートのことで、綴じ方として糸綴じ、リング綴じ、ホチキス綴じなどがあります。それぞれ一長一短ありますが、何度も見返すノートには糸綴じを、スペースの狭いところで使う可能性があるならリング綴じを選ぶといいでしょう。

今回は、日本で手に入る代表的なノートとその使用感について簡単にレポートしてみようと思います。まずは大学ノートの代表、セブンイレブンでも手に入るコクヨの「キャンパスノート」です。

Kokuyo campus
上の写真は最近復刻版としてでた「復刻版キャンパスノート」です。左が初代、順に2代、3代、そして4代(現行)。こうやって眺め渡すと面白いもので、それぞれのノートとそれぞれの時代が私の中でもシンクロしていたりします。中学高校生の時はたぶん初代を使っていたんだと思いますが、その頃はルーズリーフなども使っていてぼんやりとした記憶しか残っていません。一番鮮明に覚えているのは2代目で、大学から院にかけて取ったノートの大半がこのキャンパスノートです。3代目?4代目もしょっちゅう目にしているおなじみのデザインですが、このころになるとたぶん次に紹介するツバメノートやTSノートに移行したのでしょう、ほとんど使ったことはありません。

ツバメノート
コクヨよりも知名度は落ちますが、品質が高く、文具マニアの間で有名なのがそのツバメノート(写真)です。表紙のデザインなんか、オーソドックスというか、地味すぎて却ってクールな感じがするほどです(笑)。このノートは紙がフールスキャップといってすかしの入った厚手のプリンとした紙質なので、万年筆や水性ペンで書くのに向いていると思います。私はとくに、「クリームノート」のファンで、これを使って仕上げたノートは結構な冊数になります。

しかし、ツバメノートよりもさらに厚い紙を使った高級ノートがフランスのクレールフォンテーヌです。(写真下)

クレールフォンテーヌ
ただ、ここまで来るとちょっと高級品レベルで1冊300円近くしますから実用的ではないですね。また手に入りづらいノートだと思います。私の場合はいつも行く近所のソニプラで購入しましたが、たまたま入荷されていたという感じでしょうか、次に行ったときは品切れでした。これに万年筆で筆記をすると、すらすらと筆が運びとても楽に書けます。またフロー(インクの流出量)の多いペンでも裏写りを気にせずに書くことができます。現在「アカデミック・ライティング」の授業用ノートとして使っています。

リングノートというとどうしても外せないのが、コクヨのフィラーノート(写真下)です

フィラーノート
これはリング綴じで、リーフにキリトリ線とバインダー用の穴があいていて、普段はノートとして使えるけれど、提出するときには切り取ることができ、ランダムに記入していっても後で切り取ってバインダーに整理できるという優れたノートです。アメリカのノートにはよくこの手のものがあるのですが、日本製というとこのフィラーノートしか見かけないように思います。このノートは最近出たものだと思っていたのですが、コクヨ100年物語で調べてみたら驚きました。1961年からの商品なんですね。

実は最初、このノートをクラス全員に買わせてノートの取り方から何から指導しようと思っていたのですが、シラバスを作成していくとどんどん時間がなくなり、結局この案は削ることにしました。「アカデミック・ライティング」のクラスでは使おうと最後まで計画していたのですが、提出物をタイプして出してもらうので、学生に余計な出費をさせても悪いと思いここでも使うことを諦めました。

アメリカでこのタイプのノートというと「ミードノート」が真っ先に思い浮かびます。このノートについてはエッセイを書いていますのでよかったらご覧下さい。

鉛筆・シャープペンシル(pencil & mechanical pencil)

教科書にちょっとしたことを書き込むときは鉛筆やシャーペンがうってつけですし、実際大半の学生さんもシャーペンを使っています。そこで今さら「鉛筆とシャーペンの使い方」などというテーマで書いても仕方がないので、今回はよくできた鉛筆とシャーペンについて品名を挙げながら紹介したいと思います。

まず避けるべきは「多機能ペン」、一言でいってしまえば「シャーボ」です。このタイプのペンは会社員が内ポケットからサッと取り出してメモを取るためにこそ向いているものの、ちゃんと筆箱を持っている学生がこういう筆記具で済ませているようではまず見込みがありません。なぜでしょうか。ガタつくからです。機構の関係上このガタは仕方ないのですが、こういうガタつくペンで書いていて何も感じないようだとまず将来の見込みはありません。したがって、優れたシャーペンというのはガタつきを極力取り除いたものだということができます。

最初に取り上げるのはStaedtlerのシャーペンです。Staedtlerは19世紀初頭からドイツの鉛筆会社としてトップクラスを走っていましたが、とくにこのメーカーが得意とするのが製図用品で、正確さを要求される製図用品で培われた技術がこれらシャーペンにも遺憾なく発揮されています。このシャーペンの唯一の欠点は「決して落としてはならない」ということです。精密に作られているため先端から落とそうものなら間違いなくペン先が曲がったり折れてしまいます。この欠点を「ダブルノック」というしくみで解決し、グリップにもラバーを仕込んで感触をよくしたのが日本の誇る筆記具メーカーぺんてるの「グラフギア」です。こちらも製図用。トップページからだと、なぜか行きづらくニュースリリースのページからたどり着きました。もっと誇ってよい、全面に打ち出してよい製品だと思うのですが、会社としては特殊用途であるという理解なんでしょうかね。

一方、私はほとんどシャーペンを使うことはなくもっぱら鉛筆です。普段持ち歩いているのはFaber CastellのUFOペンシルというちょっと変わった鉛筆ですが、家で使っているのも同じFaber Castell社の世界でもっとも有名な9000番鉛筆です。一般に外国の鉛筆の硬度は同じ硬度でも日本のそれよりもいくぶん硬く、たとえば日本の鉛筆でBぐらいの硬度が欲しいときは2Bから3Bを使うとちょうどよい感じです。私は万年筆使いで筆圧をかけずに書くことになれてしまっているので、現在は3Bを使ってだらだら書いています。これと並び称されるのが先ほどシャーペンで取り上げたStaedtlerの鉛筆Lumographです。こちらも製図用という位置づけですが、当然ノートに使用しても書き味を楽しめます。そして日本が誇る三菱鉛筆のハイユニ。ひょっとすると書き味は世界一かもしれません。私が常用しないのは表面の塗装がプラスティッキーというか、ピカピカし過ぎていてペンキ塗りたてみたいな感じがするからです。一方上で取り上げたドイツ製の鉛筆は水性塗料を塗ってあるので下にある地肌の木の感触が残っていて握ったときの手触りがよいのです。

まず形から、というのもありだと思います。何気なく使っているシャーペンや鉛筆を意識的に選択するということもまた自分がそれを使って成し遂げることに対する意識やモチベーションを高めることにもなるのではないでしょうか。

筆記具総論はここまでにして、次回からは紙製品を取り上げてます。

ゲルインクボールペン(gel ink pen)

これもまた日本で開発された技術で、1980年代後半にサクラクレパスが「ボールサイン」という商品名で売り出したのが最初だといわれています。これは従来の油性ボールペンと水性ペンそれぞれの欠点を補う形で開発されました。油性ボールペンとは反対に「ボテ(ペン先に付着するインクの固まり)」を出さず書き味も軽く、そして黒がくっきりと黒いボールペン、また水性ペンとは反対ににじまず液漏れをしないボールペンという命題をクリアーしたのがこのペンです。欠点といえば「インクの減りの速さ」ということになるのでしょうが、これも「使い切った」という満足感を与えると考えればあながち欠点ともいいきれない特徴です。

このサクラクレパスの技術を取り入れて、現在では文具メーカー各社がこぞってゲルペンを発売しそれぞれ付加価値をつけて市場を争っています。ブログにも以前書いたのですが、その競争が妙な方向に逸れてユーザー無視の極細競争になっているような気もします。ともあれ、使いやすさと発色の良さで「もう、どれがどれやら分からない」ほど多くの種類が発売されていますが少し整理して紹介したいと思います。各社ともそれぞれ代表的ラインをもち、そこに「ノック式」「ラバーグリップ」「独自色」「ラメ入り」「極細」はては「香り付き」という付加価値をつけているので、まずはこの代表的ラインを知っておくとわかりやすいでしょう。各社の代表ラインは次のようになります。

個体差が大きいので試し書きは欠かせませんが、ただやみくもに試し書きをしても意味がありません。ゲルペン最大のポイントは書き出しです。書き出しがかすれるものはゆくゆく使い物にならなくなります。必ず書き出しをチェックしましょう。筆感ですがどうも同じラインでもキャップ式とノック式ではインクの性質が若干違うようで、概してキャップ式の方が書き味がなめらかなものが多いようです。しかし、ノック式の方が機動性に優れているのでここは使い方と相談して決定した方がいいと思います。

極細のペンを使ってノートを書いている人をたまに見かけますが、超極細は書き味もよくないしあまり薦められません。あれは手帳用なんですよね。ノートを買うお金にも困っているなら細かい字でびっしり書くのも理解できますが、ふつうは0.5ぐらいの太さでサラッと書いた方が「書くこと」に気を取られなくていいと思います。

水性ボールペン(rollerball)

いろいろ調べていくと、どうやら水性ボールペンは日本で開発されそれが海外で大ヒットしたそうですが、詳しいことはトンボのサイトを見てもらえれば分かると思います。

水性ボールペンの長所は万年筆ほどではないにせよ筆圧をかけずにさらさらと字が書ける所です。これはそもそもの発想が「万年筆の書き味とボールペンの簡便性」を両立させようというコンセプトであったことからも当然だといえるでしょう。したがって、短所もまたここから導き出されます。それは「にじみやすい」点です。紙質にもよりますが、わら半紙やペーパーバック、あるいは薄紙の教科書などに張り切って書き込むとほぼ100%滲みます。紙質というのは不思議なもので、いわゆる1平方メートルあたりのグラム数(これが多いほど「厚い紙」となります)に比例するわけではなくて、薄手の紙でも滲まないものもあれば、厚紙なのにはげしく裏写りするものもあります。えてして教科書の紙は裏写りしやすいので水性ペンを使うときは気をつけた方がいいでしょう。

水性ボールペンには直液式と中綿式がありますが、文房具マニアがいつも取り上げる直液式水性ペンとしては次の3つが代表的です。

トンボのMonoballはまさに私にとって青春の筆記具でした。学生自治会に属していたので日に何枚もの報告書や書類を書かなければならなかったのですが、そうしたときにこのペンは非常に役立ちました。何というか神話ではないけれど、「報告書を書くならこのペンで」という雰囲気がありました。このペンの欠点は暑い時期になるとインクがドボッと漏れたりするんですよね。おまけに顔料インクということでなかなか落ちないので結構苦労しました。

パイロットのVcornはずっと後になって知ったものです。このペン、実は密かに水性ペンの最高傑作ではないかと思っています。筆圧をかけると楷書体が上手く書けるのは当然で、報告書をMonoballで書くときも、当然のように筆圧をかけていました。しかしこれだと水性ペンのメリットを消してしまうことになるわけです。しかし、筆圧をかけないとボールに引っ張られる感じで線がまっすぐ引けない。ところがこのVcornは低筆圧でも狙った線を書くことができるのです。この辺の事情は相性の問題もあると思いますが、Monoball一本槍の人は一度試してみたらいいと思います。線はMonoballに比べると若干細いですが液漏れの心配もなさそうです。

Ballぺんてるは日本を代表する文房具らしいのですが、どうも楷書体などきちんとした字体を必要とする報告書系には向いていないようです。というのも、線の太さがまちまちになりがちなんです。ある意味では万年筆にもっとも近い書き味で、上のリンク先の人も評していますが、きっちりした文字を書くよりもサラサラっと殴り書きをするときにこのペンは真価を発揮するように思います。もう一つこのペンで特筆すべきは青インクです。上の3つは青インクがどれも特徴的で、MonoballやVcornが鮮やかな青をしているのに対して、Ball ぺんてるの青は万年筆でいうブルーブラックに似てとても落ち着いた渋い青です。この青が好きでいまでもメモを取るときにこのBallぺんてるを使ったりします。

報告書や履歴書を書くとき、授業のノートを「ノート」に書き込んだりメモを取るとき、手書きのレポートを提出するとき、これらの水性ボールペンが役に立つでしょう。

ボールペン(ballpoint pen)

ここでいうボールペンとは油性ボールペンのことです。水性ボールペンとゲルインク・ボールペンについては次回以降書く予定です。

ボールペンの特長は二つあります。一つは「メンテナンスが楽」であること、もう一つは「にじまない」ことです。万年筆がインクを吸入したりカートリッジを入れ替える必要があるのに対して、使い捨てボールペンはともかく入れ替え式のボールペンでも替え芯を取り替えるだけで済むわけです。それにキャップをはずしておいてもインクが流れ出したり、逆に乾燥して使えなくなったりすることはそうそうありません。初期の頃はインクの流出があったといわれていますが、インクの粘度を上げることで解消されています。にじまないというのは質の悪い紙に書かなければならない時にはかなり重要で、この点では万年筆と水性ボールペンは席を譲らなくてはなりません。いまはあまり使われなくなりましたが、昔は藁半紙や更紙と呼ばれる質の悪い紙がよく使われていました。こういうときは鉛筆かボールペンしか対応のしようがなかったものです。

ボールペンの欠点は1つだけあります。インクの粘度が高いことにより流出がなくなった反面ある程度の筆圧をかけなくては書けなくなったことです(しつこいようですが洒落じゃないよ。もっとも、その筆圧のおかげでカーボン紙に書くときにうってつけの筆記具ともなりましたが)。一定の筆圧を必要とすることで長時間筆記には向かないものになりました。がんばって根性発揮して書くことは可能ですがそれで何かが良くなるわけではないですからね。もっとも油性ボールペンでもbicのボールペンやOHTOの「ソフトインク」などはこうした弱点を改良してかなり書きやすいものになっています。そして弱点とはいえないけれど、油性インクのもつ「発色の悪さ」はゲル・ボールペンの登場によって払拭されましたが、このことは後に譲ります。

ボールペンの使い道ですが、私は「書類記入」と割り切っています。これだと筆記時間は短時間で済みますし、さっと書類を渡されてさっと書き込むことができるからです。学生が使用するときにはどんな使い方が考えられるでしょう?あまり浮かびません。学生課や教務課の書類に書き込むときに使えばいいと思います。なおボールペン全般について体験や感想を交えてブログに駄文を書いています。参考にしてください。

万年筆(fountain pen)

万年筆の特色は「万年保つこと」でも「正式っぽいとこ」でもありません。これは「ほとんど筆圧をかけなくても書ける」という点なんです(洒落じゃないよ)。これを無視して筆圧をかけて書くと万年筆は傷んだり、最悪壊れたりします。そうすると万年筆にふさわしい状況というのが見えてきますね。そう「筆圧をかけて書きたくない状況」です。言い換えれば「長時間筆記するような状況」、だから昔の作家さんはみんな万年筆を選んだわけです。しかし、ワープロ・パソコンの普及でこの長時間筆記のメリットをそれらに譲ることになり、反対にメンテナンスの面倒さや正式っぽさだけがクローズアップされ、万年筆は趣味の分野になってしまいました。その結果、異常にゴテゴテと飾り立てた限定万年筆や超高級万年筆が幅を利かせることになってしまったのです。それはちょうど、神社仏閣が「現実と斬り結んだ存在」であるうちは、人々もそれらを無視していられるのに対して、「現実の意味を失ってしまった存在」になるやいなや観光地として人々がその存在を意識し、しばしば出かけたりするようになるのと似ています。ハイデガー風に言えば存在の存在性が感じられるようになったということでしょう。

しかし、ここでは万年筆品評ではなくて、あくまでもツールとしての万年筆を考えていきたいと思います。司法試験の受験生の間では常識になっているのですが、万年筆は「論述型試験」に向いています。長い文を書き続けなければならない試験の時、万年筆はその実力を遺憾なく発揮します。私が院生だった時にある先生の試験の監督を手伝いましたが、その先生もまた「ペンで書くように」と指示されていました(そのメリットを理解できていない学生には不評のようでしたが)。

「ペンは自由に消したり書いたり出来ない」という不安を持っている人も多いと思いますが、これが逆に注意深く書く、まとめてから書くという習慣を促すことにもなります。私に関していえば、授業で取るメモ風のノートは主に鉛筆、それがそのまま見返せるようなノートに仕上がることが見込めるならば水性ペンを使っていました。そして前者のノート、つまり殴り書きでメモった程度のノートをまとめるときに、万年筆を使い糸綴じノートに写したものです。ペン先の太さはいろいろ試してみたけれど、F(細字)がいいようですね。XF(極細)だとカリカリしすぎるし、M(中字)だとノートに書くときにボタっとした感じになります。趣味と実用を両立させて万年筆を使うことの出来る時期は、一部の人を除いて学生時代だけだと思います。学生の人はためしにノートまとめや試験で万年筆を使ってみてはどうですか?

状況文具(situation stationery)

タイトルは冗談ですが、文房具にも、それを用いるのがふさわしい状況とそうでない状況とがありますね。ここではまず筆記具と紙製品を取り上げます。筆記具というとざっと思いつくのは、「万年筆」、「毛筆」、「ボールペン」、「ローラーボール(水性ボールペン)」、「サインペン」、「シャープペン」、「鉛筆」といったところではないでしょうか?一方、紙製品というと「大学ノート」、「ルーズリーフ」、「レポート用紙」、「原稿用紙」、「半紙」などが代表的です。ここでは「毛筆」と「半紙」は除外しておきましょう。これらは残念なことに特殊な状況で用いられるものになってしまってますから。反対に紙製品の中に「教科書」というのを加えておきましょう。授業ベースで考えると、教科書に書き込むことは非常に多いですから。次回からは、各製品の特色とそれらを用いるのにふさわしい状況とについて考えていきたいと思います。