diary

篆刻

一週間ほど前から篆刻をはじめました。これまで使っていた蔵書用の消ゴム印が経年変化でドロドロに溶け出して、醜く机の引き出しに貼りついていたので決意して開始しました。

ということですぐにも蔵書印を彫ろうと思ったのですが、この「蔵」という字はきわめて難しい、特に篆書体だと何かヒエログリフのような佇まいさえ感じさせる文字なので、はじめたばかりで硬い石に彫るのは無理だと感じ、まずは姓名、そして私の雅号を刻んでみることにしました。それがこれ。

tenkoku"

上が私の姓名を刻んだもの、下が雅号「酩丁」を刻んだものです。上のように白抜きの文字(すなわち字を彫り込んだもの)を白文といい、下のように赤い文字(すなわち字を彫り出したもの)を朱文と呼ぶそうです。下手くそで恥ずかしいですが、集中力を養ういい訓練になりそうです。また、字を見ながら鏡文字を書くので右脳(だか、左脳だか、小脳だか、とにかく脳味噌近辺)の訓練にもなるんじゃないかとひそかにほくそ笑んでいます。

メタ・カラオケ

生涯で一番楽しいカラオケはもう決まっています。前は難波、今は近江のジャズドラマーと行ったカラオケ。私は一曲も歌っていないんですがね。どういうことだって?

まず確認しておきたいのだけれど、私はカラオケが嫌いです。いや、むしろ懐疑的です。年に二三度は行くけれど、それは付き合いで行く、というより泥酔したまま運搬されていく体な訳です。いやもおうもない、是非もなし。

嫌いな理由は大体決まっていて、みんな上手くて私が下手なんですね。おまけにみんなメロディー通り歌う。上手い下手は仕方がないし、上手いほうがいいんだけれど、メロディー通り歌うのが気に入らない。同じメロディーだったらオリジナル歌手のCD聴きますよと言いたくなる。おまけに、リフレインの部分なんかでそれまでのメロディーをちょっといじって音が上がったりするところも正式に真似をする。違うところを間違えて上げると、「しまった!」みたいな顔をしている・・・「いやそこは、コードが一緒ですからどこで上げたっていいので、どうぞ良きところで上げてください」と、こっちが気を使ってしまうんですね。で、メロディー通りに歌わなくちゃという「凝り」がこっちに伝染してきてだんだん肩が凝るわけです。人が歌う分にはまだしも、こちらが歌うとなると煩瑣なこと、さらに夥しくなるわけです。適当にメロディーをいじって歌っていると、「この人フシを知らないな」と思った親切な人が自分もマイクを持ってナビゲーションしてくれるんですね。一度面白いことがありました。ある曲を頼んで、そのメロディーの5度上を歌ったらどんな感じになるかと思って歌っていたら、気づいた人がキーを上げてくれる。でも、こっちは5度上を歌っているのでつられて上がって行ってしまい、声がでない。さらに、カラオケマシーンは5度も上がらないので「G坂さん下げて下げて!」などといわれ、相手の気持ちを壊してもいけないと思い、言われるままアロング・ザ・メロディで歌いました(笑)こうやって、使わなくてもいい気を使ったりして疲れるんです。ということで、人が歌っている時はリズムに合わせて踊り、自分が歌う時はジャズ曲を歌うようにしています。踊っていれば凝りは伝染してこないし、ジャズ曲なら他の人が知らないだろうから、のびのびとインチキメロディーで歌えることと、ジャズやっている人ならご存知でしょうが、8ビートよりも4ビートのほうがインプロビゼーションしやすいからです。

そう、このインプロビゼーション(即興)こそ人付き合いの最も重要な要素だと思うのですが、カラオケというのはこれを著しく阻害しているわけです。ぜんぜん即興的じゃないもの。会話で言えば、みんなでシェークスピアのブランクヴァースをなぞりながら対話しているようなもの。シェークスピアならまだしも、今流行のドラマの台詞をなぞって会話しているのと同じじゃないですか?

そういうわけでカラオケには懐疑的なわけです。

ところが、ドラマーと行ったカラオケはどうだったか。徹頭徹尾曲が入らないんですね。もちろんわざとです。歌いたい曲をドラマーが何度入れても違う曲のイントロが流れる。そのたびにドラマーが違うリアクションでこける。

そう、ジャズ好きならやる曲単位のインプロビゼーションを超えて、「カラオケ」、すなわちみんなが曲を順番に入れ(不文律で二度入れを我慢したりしながら)、流れた順に歌い、メロディーは元の歌手をなぞり、ガヤは邪魔にならない様に適度にし、一曲終わるたびにみんなで拍手し云々、という「カラオケ儀式」そのものを題材に彼は即興していたわけです。曲ではなくカラオケをメタな立場からいじって見せたわけです。私たちはそれに即興的に突っ込むことで同じく、「カラオケ」というコードに基づいた即興演奏に参加したわけです。これは滅多なことで成立することではありません。やる側と受け取る側とにスクエアーな連中がいたのでは面倒なことになります。

しかし、この日はドラマーとベーシスト、ピアニストやギタリスト、そしてロープの歌手という錚々たるヒップなメンバーだったので、みな意味を理解してグルーヴ感が醸成され大爆笑のうちに時間が終了しました。こんな面子が揃うことは今後ないでしょうし、そこであそこまでグルーヴすることもないでしょう。ということで、「生涯で一番楽しい」と言い切って差し支えないと思うわけです。

McDonald'sの新メニュー

朝8:30ごろ白山駅に着いて地上に出ると、朝食を摂るようにしています。たいていは日本蕎麦かマクドナルド。最近マクドナルドで新メニューが発売されたことも、そんなとある朝に知りました。

一つ目がMegaMac。

megamac

これは、知り合いの高校生が買ってきたものを撮影させてもらったものです。ピンボケしていたのですが、食べるのを待って撮影させてもらっているので、「もう一枚」とは言い出しかねてこの一枚だけにしました。これは、見るからに味の類推がつくいでたちです。しかし、私はこれを食べることは出来ません。なぜなら私が食べるのは「朝マック」の時間帯だからです。

朝マックにも一つ新メニューが加わりました。それがMcGriddles。複数形なのは上と下で挟んでいるからです。ところでgriddleってのは何でしょう?字引を引くとパンケーキなどを焼く鉄板となっています。私はこの程度の知識で先日このMcGriddlesを食べてみました。

ひ、ひどくまずい!!

と言ったのは『美味しんぼ』に出てきて焼き味噌を食わされるどこかの県知事ですが、そこまではいかないにしても、妙な味です。上下のバンズがパンケーキ地なんですね。おまけにメープルシロップが染ましてある。一方、具は卵やソーセージなので塩味です。甘みと塩味と言うのは組み合わせ方によってはとてつもなく美味しくなるんだけれど、これはひどい…理由はシロップを染ませたために甘すぎるんです。ここまで甘い時(たとえばフルーツベースの甘いソース)でも、そこに酸味が加わると塩味とちょうど良く馴染むのですが、マックグリドルの構成に酸味の要素はありません。甘みと塩味をつなぐものが何もないので、まったくそりの合わないサックスとピアノがそれぞれ自分の演奏をしているデュオみたいな感じ。

あまりのことに驚いて、ネットを調べてみると、一応構成についてはマックのホームページで紹介していたんですね。提灯記事ばかりですが当然と言えば当然でしょう。これを見て、味を類推してから注文しなかった己を恨みます(って大袈裟な)。味覚は人それぞれですが、私はこのグリドルにきわめて懐疑的です。

紅茶の淹れ方

自分で言うのもおこがましいけれど、紅茶を淹れるのは上手いほうだと思います。それもそのはずで10年以上毎日紅茶を淹れ続けて、それでも上達しないとなると、むしろそちらのほうが問題です。

以前に、西洋史の前川さんがうちに遊びに来て、奥で使っている火鉢・・・じゃなくて、紅茶を淹れてあげたのですが、美味しかったそうで、自分でも試してみたけれど、思うような濃さにならない。思い切って茶葉を増やしたら渋くて飲みづらいものになったと、後で連絡がありました。このことから分かるように、紅茶を上手く淹れるというのは、適量の葉で十分な濃さを稼ぎ出すことだといえるわけです。

コツというほどのものはなく、もともと体系的にではなく体験的に習得したものなので、なかなか伝えづらいものがあります。ネットを検索していると水からポットからカップまでこだわった非常に神経質な淹れ方を勧めていて、「そんな淹れ方で毎日紅茶を飲んでいたら神経症を患うだろ」と思わざるを得ないものもあります。しかし、非常に合理的で自分が普段やっているお手前をそのまま文字化したようなすばらしい解説があったので紹介します。

おいしい紅茶の入れ方

特に重要なのがお湯の沸き加減についての記述です。他の本やネットを見ると、「沸いたらそのまま3分程度沸かしぬく」と書いてあるものが多いのですが、これは致命的な間違いです。上のリンク先の方がおっしゃっているように、沸き始め・大きな泡の出始めで入れないと大半の葉が沈んでしまい、薄くて腰のくだけた色と味の紅茶になってしまいます。このことに気をつけるだけで、ずいぶん紅茶の味が変わると思いますから、試してください。

私の場合は、沸き始めて細かい泡が出て来る頃合になったらポット、カップ、ミルク入れ等にお湯を移し温め始めます。その後やかんを火に戻し、ミルク入れのお湯を捨ててそこにミルクを注いだり、ポットのお湯を捨ててそこに茶葉を入れたりしているとちょうどいい頃合になるので一気にお湯を注ぎます。この辺の動作がよどみなく出来るので自分で「お手前」などと呼んでいるわけです。

成人式

今年はどこの成人式も穏やかだったので、「荒れる成人式」の報道が極端に少なくなったのかと思ったら、そうではなくて、googleでニュース検索をかけてみると荒れたニュースもあるにはあるんですね。おそらく大々的に取上げることで"Here I am! Look at me"(ここにいるよ、私を見て!)症候群の坊ややお嬢さんを勢いづかせることになりかねないため、あえて自粛的に報道を控え、代わりに夕張成人式などの感動系を流すことにしたのでしょう。悪い判断ではないと思います。

私といえば、成人式の思い出がないんですね。前の晩に滝山寮で大酒を飲んで、寝坊(寝ちぎり)をしたわけです。ただ、そもそも前の晩に大酒を飲む時点で行く気が全く無かったことは確かです。理由は、住民票を八王子に移して地元での成人式ではなかったため、モチベーションが低かったことや、当時はまだ寺でやっていましたが、寺の儀式は長くて勿体ぶっていて退屈なことが目に見えていたためです。しかし、本当の理由はおそらく、もう気持的に成人していたからでしょう。一年間、浪人しながら仕事もしていたし、社会人としての生活は一応送った。だからいまさら成人式でもあるまい、「成人するならいっそ成仏したい」などと言い歩いていました。まあ、とにかく斜に構えていたのは若気の至りですね。

ジャズブログでレノンの"Happy Xmas (War Is Over)"を引き合いに出して書いたことですが、すべての記念日や祭り、祝賀というものは、実践的かつ倫理的でなければならないと思うのです。実践的であるというのは、成人したから何かが変わるわけではなく、何かを変える激励の契機にすべきだということです。倫理的であるということは、酒を飲んで成人式で暴れるのも、粛々と儀式に参加するのも、あるいは私のように二日酔いで寝ちぎるのも、それはすべて自己を投棄して選択し決断していることだという意味です。夕張の若者のように所与の環境に強いられた場合であっても、彼らは決断して成人式を開催したわけです。そこに人は感動を覚えるのです。

私も、これからは「毎日が成人式だ!」ぐらいの気持ちで進んでいきたいと思います。

今月の紅茶(アッサムティーとミルクブラウン)

景品で貰ったダージリンについては先日書きましたが、買ったほうのアッサムについては書き忘れました。アッサム「ディクサム・ブロークン」BOP。ティップの多い紅茶です。ティップとは白っぽい茶葉(芽の部分)で、これが多く含まれていると茶にコクが出るといわれています。

assam leaf

写真に見える白っぽいのがティップ、決してゴミやホコリではありません。下の写真はストレートの状態。水色が濃く、味も香りも強めなのが特徴です。

assam1

ストレートで飲むのが通だと思っている人も多いようですが、私はこの考え方には断固反対で、紅茶の場合いくつかの例外的なお茶を除いてミルクと砂糖を使ったほうが断然おいしくなると思います。また、ミルクはミルク(牛乳)でなくてはならず、生クリームやコーヒークリームを使うと脂肪分が勝ちすぎて、バランスが悪くなります。砂糖はいかなる場合にも使うほうが良く、特に渋みの強いダージリンのファーストフラッシュなどを無理してストレートで飲んで、渋さを我慢する必要はないわけです。

さてミルクを加えていくと、水色はミルクブラウンになりますが、この時、ミルクが少なすぎると腰のくだけた色合いになり、多すぎると白けた色合いになります。ミルクがまだ足りない状態の写真がこれ。

assam2

さらにミルクを加えていくと、前回の記事にも書いたとおりベストなポイントに達して、この時点で飲むのが理想的です。

assam3

ちなみに、今回は電話のカメラで撮るために先に紅茶を注ぎ、後から牛乳を入れましたが(ミルクインアフター)、普段は先に牛乳を入れて、そこに紅茶を注ぐミルクインファースト式で飲んでいます。また、写真のティーカップにはソーサーがついていませんが、これは半端ものを安く買ったので最初からついていませんでした。ウェッジウッドのインディアというカップで、色合いがミルクティーに向いていたので買いました。

今月の紅茶 あるいはダージリン論 あるいは共感覚について

正月に紅茶が空になったので買いに出かけました。目当てはウヴァのクオリティーでしたが、ちょっと遅かったようで売っていない。仕方がないのでアッサムのディクサムを買いました。これは以前にも紹介したことがありますが、アッサムらしいアッサム、濃い水色で味も香りも強く、ミルクティーにすると(というより、ミルクティー以外で飲みようがない)、ミルクキャラメルのような口当たりになります。

正月だったので福袋の景品がついていて、帰って開けてみるとダージリンのオータムナル(秋茶)が普段の半分ぐらいの量(20g)入っていました。ダージリンといえば世界三大銘茶の一つ、セイロン(スリランカ)のウヴァ、中国の祁門(キーマン)と並び称される銘茶ですが、私はあまり飲むことがありません。理由は単純で私は普段ミルクティーを飲むのですが、ダージリンはミルクティーにあわないからです。その原因はずばり「色」にあります。薄いんですね。

darjeelin

この薄いところに牛乳を入れるとものすごく白けた色合いになり、それに比例して味もシラケた感じになります。今回貰ったオータムナルなどわりと香ばしい香りでミルクと合いそうなのですが、色がヘタルので駄目です。一方、上手くジャンピングさせて濃く出したウヴァや多少下手な淹れかたでもアッサムなどは、そこにミルクを注いでいくとある時点でベスト(つまり美味しそう)な色合いとなり、そのポイントで飲む味は格別です。色を飲んでいるわけではないのですが、不思議なものです。

こういう原理を「共感覚(synaesthesia,シネスシージャ)」と言うそうです。五感が独立してではなく、互いに関連しながら感覚を生み出す仕組みのことだそうです。なるほど、たとえばランボーが「母音」という詩の中で各母音の色合いを定義しているように、ある音がある色を連想させることはあるようです。真っ青に着色されたカレーがいかに食欲を減退させるかを実験しているテレビ番組もありました。また、香道では香りを「聞く(利く)」などと表現します。

ダージリンの場合、この共感覚が邪魔をして、ミルクティーにすると美味しく感じられないのです。

一年間ありがとうございました(年賀に代えて)

今年(2006)一年間、どうもありがとうございました。

本年は私にとってまことに激動の一年でしたが、皆様からのご支援をもって充実した日々を過ごす事ができました。

明年(2007)もまた変わらぬご愛顧をお願いいたしますとともに、皆様のご健勝・ご多幸をお祈り申し上げます。

一日早いですが、ご住所を存じ上げない方もいらっしゃいますので、年賀に代えて。

nenga07

夕焼け二題

八王子は夕焼けの町といわれますが、実際夕焼けは綺麗です。昨日と今日、それぞれ美しい夕焼けの光景を目にしたので電話のカメラに収めました。

sunset1

これは八王子市内の放射線通りに建つシルバーの建物に夕焼けが当たって金色に輝いたものです。この直後、再び建物は元の銀色に戻ってしまいました。一瞬のことです。

sunset2

こちらは先ほど撮ったもので、創価大学の本部ビルに夕焼けの雲が映りこんだものです。これも一瞬の命でした。ところで、本当は本部ビルではなくて本部棟というのですが、この前の作文の課題で、本部棟の「棟」を和英辞書で引いたのでしょう、「棟(むね)」の意味のridgeを当てている人が多かったのでわざと本部ビルとしました。Ridgeというのは山の尾根や屋根の棟、つまり細長く続く高い場所をさす言葉です。Headquartersが正解。

今月の紅茶

久しぶりに新発売の紅茶を購入しました。

ルピシアのアールグレイ・グランドクラシック。パンフレットの説明にはこうあります。

英国のグレイ伯爵が惚れ込み、アールグレイの元となった銘茶を再現しました。燻製茶の個性に中国の果物・龍眼の繊細な香りが調和した、優雅な風格が魅力です。

ラプサン・スーチョン(燻製茶)入りのアールグレイというと、以前にも書いたフォートナム&メイソンが有名ですが、今回買ったグランドクラシックは、店頭で香りを聞くと、それほど強い個性はなくて飲み易そうでした。

grandclassic

水色は写真のように薄く、透き通っています。香りはやはりそれほど強くなく、F&Mのようにケムリ臭くて驚くということはありません。また、茶葉に混ぜられているドライフルーツの龍眼がかなり香りを出して、なんとなく以前に嗅いだような記憶がありますが思い出せません。

一口啜ってやっと思い出しました。以前よく飲んでいた、ロイホ(ロイヤルホスト)のパラダイスティーです。最近はあまりロイホにも行かなくなったので今でも扱っているかどうか分かりませんが、ひところは三日にあげず通っては、コーヒーにも飽きてよく飲んでいました。懐かしくなって調べてみると、ネット販売されているようです

paradise tea

アールグレイ・グランドクラシックは、これに軽く燻製香を加えた香りで、締りがあります。少し高いのですが良い買い物をしました。本当はもう少し香りがきついほうが好きなので、ラプサン・スーチョンを単独で買って、ブレンドしてみようかとも思っています。