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成人式

今年はどこの成人式も穏やかだったので、「荒れる成人式」の報道が極端に少なくなったのかと思ったら、そうではなくて、googleでニュース検索をかけてみると荒れたニュースもあるにはあるんですね。おそらく大々的に取上げることで"Here I am! Look at me"(ここにいるよ、私を見て!)症候群の坊ややお嬢さんを勢いづかせることになりかねないため、あえて自粛的に報道を控え、代わりに夕張成人式などの感動系を流すことにしたのでしょう。悪い判断ではないと思います。

私といえば、成人式の思い出がないんですね。前の晩に滝山寮で大酒を飲んで、寝坊(寝ちぎり)をしたわけです。ただ、そもそも前の晩に大酒を飲む時点で行く気が全く無かったことは確かです。理由は、住民票を八王子に移して地元での成人式ではなかったため、モチベーションが低かったことや、当時はまだ寺でやっていましたが、寺の儀式は長くて勿体ぶっていて退屈なことが目に見えていたためです。しかし、本当の理由はおそらく、もう気持的に成人していたからでしょう。一年間、浪人しながら仕事もしていたし、社会人としての生活は一応送った。だからいまさら成人式でもあるまい、「成人するならいっそ成仏したい」などと言い歩いていました。まあ、とにかく斜に構えていたのは若気の至りですね。

ジャズブログでレノンの"Happy Xmas (War Is Over)"を引き合いに出して書いたことですが、すべての記念日や祭り、祝賀というものは、実践的かつ倫理的でなければならないと思うのです。実践的であるというのは、成人したから何かが変わるわけではなく、何かを変える激励の契機にすべきだということです。倫理的であるということは、酒を飲んで成人式で暴れるのも、粛々と儀式に参加するのも、あるいは私のように二日酔いで寝ちぎるのも、それはすべて自己を投棄して選択し決断していることだという意味です。夕張の若者のように所与の環境に強いられた場合であっても、彼らは決断して成人式を開催したわけです。そこに人は感動を覚えるのです。

私も、これからは「毎日が成人式だ!」ぐらいの気持ちで進んでいきたいと思います。

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