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瀧野隆浩 『宮崎勤 精神鑑定書 「多重人格説」を検証する』 (講談社)

連続幼女誘拐殺人の宮崎勤死刑囚に対して死刑が執行されました。20年になるんですね。

彼が逮捕された頃はちょうど大学生で、場所は八王子、おまけに常人逮捕だったということで強く印象に残っています。夏の暑い盛りだったんですよ。もう、八王子警察の周りはマスコミでごった返し、ヘリも飛んでいたように思います。

やがて過熱する報道の中で「オタク族」という言葉がこの事件を理解するキーワードのように取り上げられ(彼の事件まで「オタク」という用語自体がマイナーで、私自身この事件をきっかけにして知りました)。大人になりきれないオタク族→屈折した性衝動→事件という図式が自明のように語られ、私自身も「そんなとこだろな」と思って済ましていました。

それから7年以上経ったある日、本屋の店先に積んである本書を見つけてたまたま手に取り、そして購入しました。著者の瀧野氏は毎日新聞の記者で、事件の頃はちょうど本町にある八王子支局に勤めていて、それ以来この事件の取材を続けていたそうです。

本書は長年の取材と多岐にわたる分析で簡単に紹介することはできませんが、その核となるのが次の一節です。

 捜査本部もそうであったように、検察側の主張も「異常な性欲=動機」説が基本になっている。つまり、成人した女性と付き合うことの出来ない20代の「おたく」の男がビデオ趣味に溺れ、幼女への異常な性衝動に突き動かされたーーというストーリーである。
 このストリーは非常に分かりやすかった。天皇がなくなって「昭和」という時代が終わり、時代はバブル前、リクルート事件で自民党の一党支配が動揺し始めた時期。漠然とした社会全体としての欠落感、不安感の中で、理解不能の彼をどうにかこうにか理解するための言葉が「異常性欲」だったのだろう。
 警察担当の当時の私もそう聞いて、分かった気になっていた。宮崎に「おたく」というレッテルを貼り、「我々と違う種類の人間」としてしまえば楽だったのかもしれない。
 ところが、鑑定書を読みながら私は愕然とした。宮崎の話を丁寧に聞いて書かれた鑑定書は全く雰囲気が違うのである。

以下、鑑定人とのやり取りが記載されています。私自身、著者と同様に「分かった気になっていた」のですが、これを読んでやはり同様に愕然としました。ここには、巷間言われていたような「異常性欲者」の面影もなければ、「偽りの狂気」も感じられません。そもそも「狂気」じみたところなどない、晩生の少年のような陳述だったからです。

私自身には、ここで展開されている「多重人格説」を云々する知識も経験もありませんが、本書は「多重人格説」を強力に推し進めているとか、あるいは死刑推進論者がよく捉え違えするように「故に死刑はいけない」と主張しているものではありません。柄谷行人が言うように、そして著者も服部雄一を援用しながら述べているように、「原因」と「責任」とを区別して論じているわけです。犯行の原因を吟味=批評することと、犯罪の責任を問うということは矛盾なく調和するはずです。

宮崎事件について知るだけでなく、そんなことを考えるヒントにもなる名著です。現在絶版のようですが中古で手に入ります。

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