雑記

ボールペン(ballpoint pen)

ここでいうボールペンとは油性ボールペンのことです。水性ボールペンとゲルインク・ボールペンについては次回以降書く予定です。

ボールペンの特長は二つあります。一つは「メンテナンスが楽」であること、もう一つは「にじまない」ことです。万年筆がインクを吸入したりカートリッジを入れ替える必要があるのに対して、使い捨てボールペンはともかく入れ替え式のボールペンでも替え芯を取り替えるだけで済むわけです。それにキャップをはずしておいてもインクが流れ出したり、逆に乾燥して使えなくなったりすることはそうそうありません。初期の頃はインクの流出があったといわれていますが、インクの粘度を上げることで解消されています。にじまないというのは質の悪い紙に書かなければならない時にはかなり重要で、この点では万年筆と水性ボールペンは席を譲らなくてはなりません。いまはあまり使われなくなりましたが、昔は藁半紙や更紙と呼ばれる質の悪い紙がよく使われていました。こういうときは鉛筆かボールペンしか対応のしようがなかったものです。

ボールペンの欠点は1つだけあります。インクの粘度が高いことにより流出がなくなった反面ある程度の筆圧をかけなくては書けなくなったことです(しつこいようですが洒落じゃないよ。もっとも、その筆圧のおかげでカーボン紙に書くときにうってつけの筆記具ともなりましたが)。一定の筆圧を必要とすることで長時間筆記には向かないものになりました。がんばって根性発揮して書くことは可能ですがそれで何かが良くなるわけではないですからね。もっとも油性ボールペンでもbicのボールペンやOHTOの「ソフトインク」などはこうした弱点を改良してかなり書きやすいものになっています。そして弱点とはいえないけれど、油性インクのもつ「発色の悪さ」はゲル・ボールペンの登場によって払拭されましたが、このことは後に譲ります。

ボールペンの使い道ですが、私は「書類記入」と割り切っています。これだと筆記時間は短時間で済みますし、さっと書類を渡されてさっと書き込むことができるからです。学生が使用するときにはどんな使い方が考えられるでしょう?あまり浮かびません。学生課や教務課の書類に書き込むときに使えばいいと思います。なおボールペン全般について体験や感想を交えてブログに駄文を書いています。参考にしてください。

万年筆(fountain pen)

万年筆の特色は「万年保つこと」でも「正式っぽいとこ」でもありません。これは「ほとんど筆圧をかけなくても書ける」という点なんです(洒落じゃないよ)。これを無視して筆圧をかけて書くと万年筆は傷んだり、最悪壊れたりします。そうすると万年筆にふさわしい状況というのが見えてきますね。そう「筆圧をかけて書きたくない状況」です。言い換えれば「長時間筆記するような状況」、だから昔の作家さんはみんな万年筆を選んだわけです。しかし、ワープロ・パソコンの普及でこの長時間筆記のメリットをそれらに譲ることになり、反対にメンテナンスの面倒さや正式っぽさだけがクローズアップされ、万年筆は趣味の分野になってしまいました。その結果、異常にゴテゴテと飾り立てた限定万年筆や超高級万年筆が幅を利かせることになってしまったのです。それはちょうど、神社仏閣が「現実と斬り結んだ存在」であるうちは、人々もそれらを無視していられるのに対して、「現実の意味を失ってしまった存在」になるやいなや観光地として人々がその存在を意識し、しばしば出かけたりするようになるのと似ています。ハイデガー風に言えば存在の存在性が感じられるようになったということでしょう。

しかし、ここでは万年筆品評ではなくて、あくまでもツールとしての万年筆を考えていきたいと思います。司法試験の受験生の間では常識になっているのですが、万年筆は「論述型試験」に向いています。長い文を書き続けなければならない試験の時、万年筆はその実力を遺憾なく発揮します。私が院生だった時にある先生の試験の監督を手伝いましたが、その先生もまた「ペンで書くように」と指示されていました(そのメリットを理解できていない学生には不評のようでしたが)。

「ペンは自由に消したり書いたり出来ない」という不安を持っている人も多いと思いますが、これが逆に注意深く書く、まとめてから書くという習慣を促すことにもなります。私に関していえば、授業で取るメモ風のノートは主に鉛筆、それがそのまま見返せるようなノートに仕上がることが見込めるならば水性ペンを使っていました。そして前者のノート、つまり殴り書きでメモった程度のノートをまとめるときに、万年筆を使い糸綴じノートに写したものです。ペン先の太さはいろいろ試してみたけれど、F(細字)がいいようですね。XF(極細)だとカリカリしすぎるし、M(中字)だとノートに書くときにボタっとした感じになります。趣味と実用を両立させて万年筆を使うことの出来る時期は、一部の人を除いて学生時代だけだと思います。学生の人はためしにノートまとめや試験で万年筆を使ってみてはどうですか?

状況文具(situation stationery)

タイトルは冗談ですが、文房具にも、それを用いるのがふさわしい状況とそうでない状況とがありますね。ここではまず筆記具と紙製品を取り上げます。筆記具というとざっと思いつくのは、「万年筆」、「毛筆」、「ボールペン」、「ローラーボール(水性ボールペン)」、「サインペン」、「シャープペン」、「鉛筆」といったところではないでしょうか?一方、紙製品というと「大学ノート」、「ルーズリーフ」、「レポート用紙」、「原稿用紙」、「半紙」などが代表的です。ここでは「毛筆」と「半紙」は除外しておきましょう。これらは残念なことに特殊な状況で用いられるものになってしまってますから。反対に紙製品の中に「教科書」というのを加えておきましょう。授業ベースで考えると、教科書に書き込むことは非常に多いですから。次回からは、各製品の特色とそれらを用いるのにふさわしい状況とについて考えていきたいと思います。

手帳(diary)

年末になるとどこの本屋、文房具屋に行っても手帳が賑々しく店頭を飾っていますね。私はこれまであまり手帳を使うことはありませんでした。たいていのことは記憶できたのと、仕事の関係上イレギュラーな業務がほとんどなく、学生と一緒で机の上に一週間の時間割表を貼っておけば事足りていました。必要なのは飲み会がいつあるのかぐらいで、そういうことだけを裏紙にメモっておけば済んだというわけです(笑)。しかし近年はそうも言っていられなくなったので、手帳を使うことにしました。

そうして調べてみるとあるわあるわ、「こんなに手帳って出ていたんだ!?」と驚くほどの種類や量が売られているのに気づきました(って、遅いですか?)。そしてその氾濫ぶりに一体どれを買えばいいのかしばらく迷いました。そこで片っ端から眺めて見ましたが全然違いが分からない。それもそのはずでこれだけ多種多様な手帳類も、実はいくつかのスタイルに分類でき、メーカーではそれ以外の部分に差異をつけてシェアを争っているんですね。そのことに気づくと案外すっきり手帳を選び出すことが出来ました。手帳は大きく分けると、「マンスリー」「ウィークリー」「デイリー」に分けられます。もちろんこれらを一冊の手帳で組み合わせているのですが、大きくはその3つです。

「マンスリー」すなわち一ヶ月スケジュールの表示方式は代表的なものとして、「リスト型」「カレンダー型」に分けられます。「リスト型」というのは縦書きであれ横書きであれ、一ヶ月が一続きで並んでいるものです。一方「カレンダー型」は文字通りカレンダー状に矩形が並んだ見開きページがあり、ユーザーはその日のコマに予定を記入していくタイプです。私や学生のように週という単位で行動する人は記入や閲覧のし易さからカレンダー型を選ぶ人が多いようです。このマンスリーだけで完成した手帳は、たとえば高橋手帳のリベルシリーズなどが代表的です。これは薄く軽いので携帯性が高く便利なのですが、予定が少し立て込んだだけでギュウギュウな感じになるので、普通はマンスリー部の次にウィークリーが来ます。

ウィークリーこそ、各社がこぞってその妍(けん)を競っている部分だと思います。見落としがあるかも知れませんが、大きく分けて3つ、すなわち「レフト式」「セパレート式」「ヴァーティカル式」です。「レフト式」というのは能率手帳や、高橋の手帳、そして我らが潮出版の文化手帖などが採用している方式で、見開いて左側に一週間の日記欄、右側がメモ欄となっているものです。そして大概日記欄には時間の目盛りが振ってあります。「セパレート式」は見開きでたとえば左側に月?木、右側に金?日というように日記欄が振り分けられていて、ちょっと工夫すればスケジュール帳ではなくて日記帳としても活用できるようなスタイルのものです。能率手帳や高橋手帳、あるいはちくまの文庫手帳などがこうしたスタイルを取っています。最後の「ヴァーティカル式」は、最近でこそ様々なメーカーが取り入れていますが、なんと言ってもフランスのクオバディス(Quo Vadis)で有名な方式です。一週間が細長く横に並び、各曜日の時間軸が垂直(ヴァーティカル)に切ってあるためヴァーティカル式と呼ばれるわけです。これは構造上レフト式よりも時間軸を多く(あるいは長く)とれるので、時間管理が必要な人にはむいているようです。私は今年これを使っていましたが、時間管理の必要があまりないのでそれほどメリットを感じることはありませんでした。むしろ、国産の手帳になら必ずといっていいほどついている「マンスリー」の部分がばっさり削ぎ落とされていたので、手帳の前の部分に別のマンスリーリフィルを貼りつけて使っていました。これ以外にもあると思いますが、まずはスタンダードな「レフト式」、日記帳にもなる「セパレート式」、そして時間管理の「ヴァーティカル式」が代表的なスタイルとなります。

デイリーは一日一ページの手帳を指します。ここまで来ると手帳はかなり限られてきます。というのも一日一ページですから必然的に分厚くなりますよね。ですからそれなりに判型も大きくないとバランスが悪くなる。そんな中でかなり頑張っているのがモールスキンポケットデイリーと、最近評判のほぼ日手帳です。モールスキンは、私も新宿の伊東屋で出して見せてもらいましたが、かなり分厚いものでした。多分あれで殴られたら怪我をするでしょう(笑)。一方のほぼ日手帳ですが、紙を工夫したようでかなり薄く仕上がっています(といってもかなり厚いですが)。この手帳は主婦などが日記をかねて使えるということで人気があるようですが、私も今年はこれを買ってみました。一日一ページなので授業で言おうとする事や、人から聞いた話や指導を書いておくことが出来そうだからです。各ページの下にあるコラム欄も面白い読み物になっています。

最近は手帳ブームであるらしく、手帳関連の書物もまた手帳並みに店頭を賑わしています。私は大した手帳の使い手ではないのでそれらの書籍のように参考にはならないと思いますが、素人が見た最近の手帳事情ということで読んでいただければ幸いです。

無根拠なオレンジ

本州太平洋側の人間は鮮やかな緑を好み、さらに九州や沖縄になるとオレンジや赤を好むようになると昔なにかの話に聞いた。太陽光線の強さと、その地域の人々が好む色には相関関係があるという話だ。私は最近とみに「オレンジ色」に惹かれるようになって困っている。オレンジ熱といってもいい。なぜ困っているかというと「いまさらオレンジ色って歳でもあるまい」という色と年齢との間の無根拠な思いこみが原因である。根拠がある思いこみというのは、その根拠を検証し批判すれば思いこみ本体も解消されるから大して困らないのであるが、無根拠の思いこみというのはあらゆるところから根拠を引っ張って来たりしてなかなか無くならない。これは無根拠な差別や偏見は、無根拠であるがゆえに却って強力である事からも分かるが、ここはそういう大切でムズカシイことはちょっとおいといて次に進む。
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数年前に「ロディア」(上の写真)を買ったのがオレンジ熱の始まりであった。当時、「大人といえば黒革でしょう?」と無根拠に思っていたのだが、この黒革製品の間にオレンジのロディアが挟まると鮮烈な存在感を発揮した。これが始まりとなり、電子辞書のケースもオレンジ、ペンも以前紹介した「bicオレンジ」やカラン・ダッシュの100円ボールペン、ついにはクレールフォンテーヌのノート、そしてラミーサファリ限定色(オレンジ)なんていう商品まで買うにいたった。仕事で使うテクストも内容ではなく表紙がオレンジ色であるかで決めた(のは嘘)。しかし、そうしてオレンジで固めてしまうと、結局オレンジの鮮烈さはすっかり失せてしまい、凡庸な色合いに見えてくるのである。この辺に人間の慣れのイヤラシサというか、どうして人は物を買いつづけ(させられ)るのかという問題が垣間見える。
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いまもっとも欲しいと思っているオレンジ色の商品はデルタというペンメーカーの「ドルチェヴィータ」という万年筆である(上の写真)。これ一本さえあればうちの机の上も見違えるほど華やぐのに買えずに困っている。なぜ困っているかというと「お金が無い」という揺るがしがたい根拠があるからである。

ところで、私のオレンジ熱が発症したのはいまから数年前、ちょうど温暖化が騒がれだし、事実東京の夏が非常に暑くなりだした頃である。これはいままで九州沖縄で好まれるとされていた「色の緯度」が上がりだした証拠である、というのが無根拠な思い込みならよいのだけれど。

アメリカの匂いのするノート

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学生時代、アメリカ帰りの子に「ミードノート」をもらうことがよくあった。紙質は最悪、万年筆や水性ペンで書いたら確実に裏抜けするシロモノだった。かといって鉛筆で書いてもあまり乗りが良くなくてどうにも使いでがよくなかった。作りも粗雑で、いかにも「アメリカ製!」って感じである(これが一種のステレオタイプだったという事は後に知る)。しかし、短期留学の帰国シーズンになったりするとこれを10冊近く貰ってしまう訳だ。おそらく値段が安く、アメリカ感が強いからだったのだろう、どの子も買ってきてたりした。しかも1冊に紙が120枚とか180枚とか使われているから1冊で1年分のノートになりそうな勢いなのだ。しかし、裏抜けするし鉛筆の乗りが悪い。
結局これらのノートは仕方なく片面使用で水性ペンを使ってブレインストーミングやペーパーのドラフト書きなどに使う事にした。ところがいざ使ってみると結構重宝するものなのだ。いま言ったように紙質、作りとも悪いのだが、そのたたずまいのせいで間違いなど気にせず、どんどん書いていく事ができる。またプリンとした高級な紙質のノートよりも心なしかめくるのが苦にならないし、ページを改めても気持ちが改まったりしないから、かえってアイデアが途切れずに書きつづけられる。振りかえって見れば、授業のペーパーどころか卒論の下書きにもこれが活躍していた。まだパソコンがそれほど普及してなく、ワープロは「清書用」と思われていた頃の話ではある。以前引っ越したときにまとめて捨ててしまったが、今残っていれば・・・・・やはりいつ処分しようか考えている事だろう(笑)

現在ではソニプラなどで気軽に手に入るがあまり使ってはいない。一昨年買った1冊がまだ半分以上残っている。

ボールペンはややこしい

油性ボールペン
bic orange
私がボールペンを使い始めた頃は、おそらく「油性ボールペン」しかなかったように思う。なぜか分からないけれど、「鉛筆よりボールペンのほうが大人だ」と思っていたので、高校に入るとすぐにボールペンを使い始めた。しかし油性ボールペンというのは、急にむっつりと黙り込んだように書けなくなることがあり困った。「お湯につけるといい」という人がいて、試してみたがダメ。ある人は「先っぽを炙ると出てくる」などと炙り出しみたいなことを教えてくれたが、加減が分からずに焦がしてしまう。勉強机の引出しにはこうしたボールペンの残骸がゴロゴロと転がっていた。たまに、ボールペンのインクの中に空気が入って分離しているのがあったけれど、あれは空気のところまで行くとどうなるんでしょう?試した事はないけれど。そんな中でも、上の写真にある「ビックボールペン」はあまり黙り込む事もなくなめらかに書けたのだが、ペン立てに逆さに入れておくとダラーンとインクが漏れてきて他のペンにまで被害を及ぼした(いまはそんな事もないでしょうが)。

水性ボールペン
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その後、水性ボールペンというのが現れた。これは軸の中でサラサラのインクがチャポンチャポンしているのが覗けて、「これなら頑固者のように途中でむっつりする事もなく、最後まで書けるだろう」と期待させてくれた。たしかに油性ボールペンのように途中で書けなくなる事はなかった。また水性というと万年筆のインクのようであるが、どういう仕組みか分からないけれど水で流れる事もない。けれど、その頃はまだ「わら半紙」が普通に使われていたので、このわら半紙に水性ペンで書くと、「ワッ」というかんじでにじむ。おまけに裏に抜けている。また教科書の紙質も悪かったから、これにも使えない。そんなわけで油性ボールペンや鉛筆と併用していた。あと、夏の暑いときに胸ポケットに入れておいてドボドボとインクが噴き出した事があってワイシャツに被害を及ぼした(いまはそんな事もないでしょうが)。

ゲルペン
mitsubishi signo
最後に登場したのが「ゲルボールペン」。インクの発色や書きやすさは水性ペンのようでありながら、わら半紙や教科書に使っても滲まずとても使いやすいペンである。私がよく使うのは「三菱シグノ」。ただ最近このゲルペンにも疑問を持っている。ゲルペンそのものというより新製品の発売に。というのも、どうも極細競争にまい進しているフシがあるのだ。文房具店を覗くと「最新超極細!」と銘打って各メーカーがしのぎどころかペン先まで削っている。0.3なんて当たり前、0.28だ0.25だとユーザーそっちのけで極細の限界に挑戦しているような風情だ。0.18なんてのまで出た・・・おまけに、そうした商品が幅を利かせていて、私の探す0.7なんかは時代遅れだとばかり隅っこのほうに追いやられている。そのむかし、CDの登場でコンパクト化が可能になったオーディオ業界が、果てしない小型化競争に突入して結局はユーザーからそっぽを向かれた事を思い出す。「縮み」志向の日本人はいまでも健在なようだ。

原稿用紙

juggler555jpさんのブログでも紹介されている満寿屋の原稿用紙を私も使っています。とはいえ、いまどき原稿用紙で書いたものを提出しろなんて言って来る所もないので、主に手紙の便箋代わりにしたり、ブレインストーミングに使っています。
作家の自筆原稿を見るのも好きで先日は吉川英治記念館に行った折、彼の自筆原稿を見る事が出来ましたが、きれいでしたね。私も字は下手なほうではないのですが(デジカメがなくアップロードできないのをいい事に放言していますが・・・)原稿用紙200字、あるいは400字を埋め終わった後でみると、ものすごくバランスが悪い。一文字一文字は私のほうが丁寧に書いているはずなのに、遠目で見ると変なデザインに見える。それに比べて作家さんの自筆原稿は一文字一文字は殴り書きに近いようなのもあるのに、遠目で見るとバランスがとれている。原稿用紙慣れしているというか、万年筆慣れしているんでしょう。自筆原稿を特集した作家と万年筆のページなど見てもその感を強くします。

それで思い出した事ですが、以前『ジャズライフ』で佐藤允彦が次のようなことを書いていました。
「(オーケストラの細かいスコアを書いていて)音の厚いところは当然音符が多くなる。たとえば主旋律、対旋律、ベースラインという三つの動きを全段に書きこんだところを少し遠くから眺めると、三種類の線がないまぜになったタペストリーのようである。『お、なかなか美しいではないか。ちょっと右上のほうが薄いかな。なにか一筆加えたほうが良いかな』と思わず画家の目になっていたりする・・・オーケストレーションという作業は、大きな画布を細い筆で埋めて行く日本画とか、九谷焼や友禅の細密な絵付け、彫金などに似ているのではないだろうか、とさえ思うのだ。」

ひょっとすると作家たちも、同時に造形芸術家の目を持って原稿を書いて(描いて)いるのかもしれないと思ったりします。

万年筆を使おう

パソコンで打ってメールで送信。いまではこれが普通ですよね。
ペンを持つときといえばちょっとした書類にサインするときか、手帳に記入するときぐらいでしょうか?そんなときでも万年筆は仰々しいとボールペンやサインペンで書くことの方が多いですよね。

でも、万年筆もいいもんですよ。保存用のノート作りに使ったり、ブレインストーミングに使ったり、年賀状や手紙、日記を書くのに使ったり。転義的にあまり力を入れて書かなくてもよいものに、字義的に力を入れずに書くためのツールが万年筆です。
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上の写真はMontblanc 146 原稿用紙を書くときに使うペンです。