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K. Fukao

Montblanc 149

私は特にモンブランに思い入れがあるわけではないですが、ネット記事や書籍を読むとどうしても目に付くのがMontblanc 149です。やれ「万年筆の最高峰」だ、やれ「本物の作家はこれを使う」などうるさいんですね。で、作家ではないのだから無視していればいいんだけれど、そうやって書き立てられるとどうしても気になってしまう。気になると夜も眠れない。もう、149をすっぱり買うか、それとも149とは「一生買わないという形」で付き合うかなどと、非常に屈折した感情に支配されてくるわけです。

「これは精神衛生上、よろしくないなー」などと考えていたとき、恒例となったモンブラン値上げの噂が飛び込んできたので、もう躊躇せずにエイヤと購入したのがこれです。

montblanc 149

しかし大げさなハコ。

montblanc 149

ペン先はBですが、太いしフルハルさんの所で解説されているように筆記角度が非常にシビア。ちょっと傾けるともう書けなくなる。ただのBなのにスタブのようなペン先。かえすがえすも汚い字ですが筆跡はこうなります(インクは写真に写っている純正のロイヤルブルー。モンブランだと純正以外を入れるのが怖くて)。

monscript

太いペン先ならフルハルさんで有償で研いでもらうのを前提で買うか、そうでなければMまでにしておいたほうが無難ですね。上の箱入りの写真、実は撮影用に箱に入れたのではなく、ずっと仕舞っておいたので箱から出す前に一枚パチリと撮ったのです(インクはわざと置きましたが)。普段はほとんど使いません。年賀状のシーズンだけ箱から出して使います。本当は最初に無理して使って馴染ませるという努力が必要なのですが、なかなかそうも行きません。

Montblancが悪いといっているのではありません。Bニブなので、それじゃなくても使いづらいのに、さらに使う場面が少なく、なじませる機会がないため、いつ使っても、「買ったときのような使い心地の悪さ!」という悪循環に陥っているんでしょう(笑)。またいずれ146のMとEF、そして古いジェネレーションについての記事を書きますが、これらはいつも手元で活躍しています。

サイトを公開しました

昨晩ですが、新しいサイトに移行して公開しました。
もう、こちらのブログでは半ば公開していたのですが、ドメインを移し替えて検索サイトに新しく登録しなおし、ping送信も新しいサイトからに変更したのが昨晩です。トップページのURLは、したがって変わりません。

前期の授業が終わってからとも考えていましたが、サイトというものは実際ユーザーに使ってもらわないと、なかなか不具合が発見できないんですね。そういう意味もあってこの時期に移行しました(謎)

Pelikan 200 と Fiesta Red

採点のときはラッション・ペンやペンテルのサインペンのようなフェルト・ペンを使います。万年筆で丸やチェックをシャッと書くとペン先が痛みそうだし、おまけにやはり疲れるんですね、フェルトペンほどは当たりが柔らかくないから。

しかし、たとえば何かコメントを書き加えたりしなければならないときはフェルト・ペンでは字が太くなりすぎるので万年筆の出番となるわけです。

いま採点のコメントやペーパーの校正用に使っているのが見るからに赤いPelikan Traditional 200スケルトン(通称ペリスケ)の赤軸です。スチールペン先ですが当たりが柔らかく重宝しています。ペン先はM。ほとんど気を使わないペンですが、さすがに採点時の激しいストロークはペン先によくないと思います。

pelikan200

隣に写っている瓶はインク瓶で、"Private Reserve Fiesta Red"です。このフィエスタ・レッドは昔の"Omas Amerigo Vespucci"に似て臙脂に近い感じの渋めの赤です。汚い字ですが筆跡はこういう色です。

fiestared

ちょうどインクを入れたばかりなので少し薄く水くさい色合いですが、いい感じで煮詰まってくるとくっきりとして渋い赤になります。

ちびまる子ちゃんを見ていて

日通ペリカン便のCMが面白い。

ディズニーランドに来たカップルの青年がぬいぐるみを買ってどこかに送ろうとしている。彼女のほうは「いったいどこに送るのよ?」と心配も手伝って切れ気味。配送センターで宛名を書くところを見て、青年の実家にいる妹のところだと分かり万事丸く収まる。夕日に向かって短髪の青年が微笑む、という展開のものです。

このCMは何年も前からやっていて、「山頂に望遠鏡」と並び日本通運の印象深いCMです。

この続編も出来て、今度はそのぬいぐるみが届けられ、妹が方言でお兄さんにお礼をいい、カップルは微笑んでいるというものです。これもわりと印象深い。

しかし、この二編がつながって放送されると奇妙なことになるんですね。というのはディズニーランドから送る時短髪だった青年は、妹の返事バージョンでは長髪に変わっているんです。同じモデルさんだと思います。

そうすると、「速さ」や「安全」を売りにする宅配便のCMとしては問題じゃないですかね(笑)髪が伸びる速度で荷物が届けられるなんて・・・江戸時代の飛脚だってもう少し速かったはずです。

あるいは、ひょっとすると時期が違うという設定なのでしょうか。だとすると、「この妹さん、お礼を言うのが随分遅くないですか?」との疑問がわきます。「誕生日プレゼント!」といっているんだけれど、あんなに髪が伸びたらもう、翌年の誕生日プレゼントになってしまいそうな勢いです。ひょっとするとプレゼントの催促をかねて、わざと自分の誕生日付近で前回のお礼の電話をしたとか?純朴な方言の陰にしたたかな計算が働いていますね(笑)

凝りはじめると止まらないから

新しくサイトを作成していることは下にも書きましたが、凝りはじめると止まらないですね。
授業のページと日記のブログは分けました。ということで、これからはこの日記風ブログだけをミクシとつなぐわけです。

いずれにせよ、ほどほどにしておかないと、毎日まいにちが寝不足で仕方ありません。明日は白山。テストです。

液晶モニター

2月にBフレッツ光に変え、それにともなってプロバイダをOCNにしたのですが、その際「価格.com」経由で申し込んだんですね、4ヵ月後に30,000円分の商品券をくれるというから。その商品券がおととい届いたので、昨日それを使って液晶モニターを購入しました。

monitor

メーカーはプリンストン、サイズは17インチ。これまで三菱のブラウン管モニター15インチを使っていたので、とても広く感じます。画面だけでなく、奥行きが減ったためにデスクも広く使えるようになりました(結局、空いた分はいずれ紙くずが占領するにせよ)。

monitor1

また、ブラウン管は奥行きがあり、デスクを壁に付けて置きその上に設置すると手前のほうに来すぎるため、デスク自体を壁から離して置く必要がありました。今度はそんな必要がないためデスクを壁ぎりぎりに置くことが出来て、その結果部屋のスペースも若干広く取れるようになりいいこと尽くめです。

しかし、三菱のブラウン管モニターRD15D。これは大学院の時から使っているのでかれこれ15年ぐらいになりますが、その間一度も故障しませんでした。一昨年あたりからケーブルの付け根付近で皮膜がはがれて線が露出し、おっかないのでガムテープで補修しました。そのせいか知らないけれど、なぜか陽気が暑くなると画面が時に緑っぽく、時に青っぽくまた赤く変化したりしましたが涼しいときは快調に動いていました。古いモニターが壊れて急場しのぎで買ったRD15Dでしたが、私の持っている電気製品の中では最長寿かもしれません。もちろんまだ壊れていないので、しまっておいて必要があれば引っ張り出して使うつもりです。

作業の純粋絶対零度

現在、新しいサイトの公開に向け準備中です。

で、今日若い友人たちと会ったので、旧(というか現在の)サイトと新サイトのデザインのどちらがいいか訊いてみると、どうも新サイトのほうは評判がよろしくない。これは地味だけれど汎用的なMTのStyleCatcherを使っているため素っ気ないんですね、画面が。
実はデザインを変えたのは表面的なことで、新サイトは全部ブログなんですよ。ブログとブログがトラバして更新データを送りあい、"What's New"なんかが自動で更新される仕組みになっています。もちろん、ブログといっても全ページにカレンダーが出てくるわけではないですけれどね(笑)。

また、php化したりダイナミックパブリッシングにしたりと、自分でも意味が分からないけれど、とにかく聞くと難しくて取り組むと辛そうなことを一通りやって満悦しています。「何のため」にその作業をしているのか分からないけれど、とにかくそういう作業があるからその作業をする、作業の絶対零度、純粋作業。やってみて初めてなんとなくその機能が理解できる、そんな感じです。

まだ未完成・未公開ですが、一応URLだけ書いておきます。
http://52street.sakura.ne.jp/

旧サイトは
http://fukao.info/
です。いずれ新サイトに"fukao.info"のドメインを割り当てる予定です。

どちらがよいか、よかったら感想を聞かせてください(って、これだけ新サイトのよさや特質、作業の苦しみや純粋作業まで言い出したら、「今の方が良い」って言いづらいですね)。

一応

新しくレンタルサーバーをかりて、一応今日から稼動させているのだけれど、まだ公開はしていない。
というより、いくつもブログを増殖させたら異常に重い・・・

エラスムス 『平和の訴え』 (岩波文庫)

erasmus
高校生の頃『痴愚神礼賛』を読んで以来ずっと感じていたのですが、エラスムスはどこか不真面目な人であるという印象を持っていました。それは扉絵のところに載せられていたホルバイン作の、口元に皮肉な笑みをたたえたこの肖像画から来る印象だけではなく、もっと根源的な不真面目さです。しかも、あまり不快ではない不真面目さ。たとえば同じ諷刺をしてもスイフトなどは生真面目な感じがする。反語を弄しても安吾のほうがずっとまじめだ。それに比べてエラスムスは、これまた随分と不真面目な印象を受けました。しかし、倫理や世界史の教科書にも乗るエラスムスが田舎の高校生に「不真面目だ」の一言で片付けられるような存在であってはおかしい、そんな思いもあって、彼に対してはなんとなくちぐはぐな印象と漠然とした疑念を持っていました。

この疑念が氷解したのは何かの対談集(おそらく、批評空間だったと思います)で柄谷行人が、「真面目の反対は遊びではない、現実だ」と述べているのを読んだときです。私がこれまで「不真面目」だと思い込んでいたことが、実は「現実的」であったわけです。人は遊ぶとき、たとえばチェスをするときルールを無視してポーンを下がらせるような、不真面目なことはしません。そんなことをしたら遊びそのものが崩壊してしまうからです。つまり遊ぶときほど人はルールに対して真面目であるのです。一方現実的であるということは、真面目ではない。ルールに則った戦争などあったでしょうか。公約に真面目な政治などあるでしょうか。もちろん、条約なり公約を守ろうとする姿勢を権力は示しますが、それらは守られないことのほうが多い。しかし人はそれを「現実的な」選択や状況であったとして赦すわけです。

これを混同したらどうなるか?チェスに現実を持ち込んで、上司だから幹部だからポーンが右下に下がってもOKとしたらチェスそのものが崩壊するように、現実をあまりに真面目なルールやロジックで縛れば同じように悲惨な崩壊を引き起こすことになるわけです。それを防ぐためにこそ真面目=遊びと現実の弁別が必要なのです。マキャベリが言ったのもまさにこの点であって、幻想を打ち砕かれたり現実に倦み疲れたインテリをして「現実の政治なんてこんなものさ」と嘯かせるために『君主論』を書いたわけではないことは容易に理解できます。

エラスムスを読むとき聞こえてきた不真面目というペダルノートは、実際はこの現実主義であったのだと思います。エラスムスの伝記を読むと、教会の分裂と相次ぐ戦火の時代に遭遇し、教会の分裂という事態を何とか回避ようと試みながら、はからずもルター派と反ルター派の両方から批判され、国王たちににもその名声を利用されながら、彼らの逆手を取って自らの平和思想を公にする機会を得ていく、そんなタフで現実的な姿がうかがえるのです。幼い私はそれを、不真面目であると読み間違えていた。そしてこの現実主義と不真面目との混同を払拭すると、そこに見えてくるのはエラスムスの強烈な理想主義、しかも現実に耐えそれを乗り越えようとする希望に満ちた理想主義なのです。

erasmus
そんな理想主義者のエラスムスは『平和の訴え』でこう述べています。

君主たちは自分のためにではなく、民衆のためにこそ英明であるべきです。また君主は、自分の威厳や幸福、力や栄光を、君主を真に偉大かつ抜群たらしめる事績によって測るだけの名識を備えているべきです・・・・こうして国王は、最良の人民を統治するときに自らを偉大と考え、人民を幸福にしたとき初めて自らを幸福と考えるべきです。また国王は、完全に自由な人間を支配する場合こそ真に高貴なのであり、人民が富裕になって始めて自らも富裕なのであり、諸都市が恒久平和に恵まれ繁栄する時、始めて己も繁栄するものと考えるべきです。(49節)

この一節に、皮肉なエラスムス像を読み込むのも、非現実的な理想主義を読み込むのも自由ですが、それは読む側の気持ちの反映なのであって、エラスムスの問題ではないわけです。現実主義を標榜する政治学者たちがイロニッシュな御用学者となってしまったり、反対にあまりに現実とかけ離れた理屈を整然と展開し(現実という変数を捨象すればたいていのことは整然となりますが)現実を見くだした姿勢をとるのは、どちらも理想と現実という、永遠に和解することのない二重性の重荷に耐え切れなくなって、前者は幻滅し後者は逃避しているのだと私は思います。

国家間、民族間の対立と反目についても簡潔な筆致で、

イングランド人はフランス人を敵視していますが、その理由はといえば、それはただフランス人であるということのほかは何もないのです。イングランド人はスコットランド人に対し、ただスコットランド人であるというだけのことで敵意をいだいているのです。同じように、ドイツ人はフランス人とそりが合わず、スペイン人はこれまたドイツ人ともフランス人とも意見が合いません・・・・名前のような取るにたりない事がらが、かずかずの自然の結びつきやかずかずのキリストの絆より一そう強い力をふるうとは、どういうことでしょう?(59節)

と、その愚かで無根拠な本質を暴きます。

そして、平和への方途を民衆の自覚へと向けていきます。

キリスト教徒の名に誇りをもつすべての人びとよ、心を一つに合わせて戦争に反対の狼煙をあげてください。民衆の協力が専制的な権力に対してどこまで抵抗する力があるかを示してください。この目的のために各人はそのすべての知恵を持ち寄っていただきたいのです。(74節)

大多数の一般民衆は、戦争を憎み、平和を悲願しています。ただ、民衆の不幸の上に呪われた栄耀栄華を貪るほんの僅かな連中だけが戦争を望んでいるにすぎません。こういう、一握りの邪悪なご連中のほうが、善良な全体の意志よりも優位を占めてしまうということが、果たして正当なものかどうか、皆さん自身でとくと判断していただきたいもの・・・・戦争は戦争を生み、復讐は復讐を招き寄せます。ところが、好意は好意を生み、善行は善行を招くものなのです。(76節)

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一応の工事完了

一昨日からやっているサイトの工事が完了しました。"My Interests"と"FAQ"のページをブログ化し、ついでにカテゴリーとサブカテゴリーを使って表示に工夫をし、ジャズアルバムレビューは演奏者名でABC順、書評は作者名であいうえお順にソートされるようにしました。
エントリーはJAVAスクリプトを使っているようで、私には何のことか分からず、デザイン的にちぐはぐなディフォルトのものを使用することであきらめていましたが、よく見ると必要な部分とそうでない部分が分かってきたのでページ全体のテンプレに移植し、統一したデザインに仕上げることが出来ました。こうなると、デザイン的に統一が取れていないのはこのウェブログだけということになります(笑い)。こちらも移植しようかと考えているのですが、カレンダーや日付ごとのアーカイブなどブログらしい要素を含んだページを一箇所ぐらいは残したいので、ここには手を付けずにおきます。ただ、StyleCatcherを利用して気楽にデザインを変更できるよう、標準的なデザインに変えましたが、これはいまいちですね。