お腹のことに気を配れない人は、何に対しても気を配れない

Some people have a foolish way of not minding, or pretending not to mind, what they eat. For my part, I mind my belly very studiously, and very carefully; for I look upon it, that he who does not mind his belly, will hardly mind anything else. by Samuel Johnson (中には愚かにも自分の食べるものに対してなんら気を配らない、あるいは気を配らないふりをすることを身につけているものがいる。私といえば、自分のお腹には熱心に、また注意深く気を配っている。というのも、私の見るところ、お腹のことに気を配れない人は、何に対しても気を配れないからだ)


むかし、八日町にある酒屋のシャッターに「お腹のことを考えない人は、頭のことも考えない サミュエル・ジョンソン」という格言が書かれていた。その出典が上の一節。微妙な違いはあるが、大意は同じであろう。「気にしない」という訳だと日本語の「気にする」の持つネガティヴィティーが前面に出てしっくり来ないので、「気を配る」と訳してみた。

地震が起こってこのかた、私たちは情報の洪水の中にいる。情報の津波といってもいいだろう。さらにその情報自体が、「危険だ」「いや安全だ」「ヤッパリ危険だった」という激しい振幅の中にあり、かなり疲弊している人も多い。そうした中にあってわたしが一番気になった情報は、実をいうと「自衛隊が赤飯を食べている」と「原発作業員の食事がカロリーメイトでひどい」というものであった。赤飯はコメとマメが同時に取れるというスグレモノらしいが、それでも「もっといいもの食べさせたれよ」と思うし、まして原発作業員のカロリーメイトにいたっては何をかいわんやである。

警察消防を含め両者とも、もっとも過酷な仕事に従事している人たちである。英雄に祭り上げる暇があったら、もっと美味しくて暖かくて栄養のあるものを食べさせるべきなのだ。人は(というか生き物は)食を基本として、その上に文化なり、思想なり、科学なりを築き上げてきた。食は生きることの土台である、とたぶん山岡士郎も『美味しんぼ』の何巻かで言っていることだろう。「欲しがりません勝つまでは」の思想は時代錯誤どころかいつの時代にあっても錯誤なのである。

「被災者の気持ち」という人がいるけれど、そういう人に限って自分はぬくぬくとした環境にあって、一番困っている人を盾にして自分のフラストレーションをリリースしている人だったりするのは、内田樹先生の指摘するとおり。→未曾有の災害の時に  そんな人たちの声に耳を貸す必要などない。復興支援の人たちや協力会社からの原発作業員がまともなものを食べて力いっぱい働いている姿を非難する被災地の人などいないはずだ。

なにも毎食フルコースを食べてもらおうといっているのではない。復興も原発も彼らの双肩にかかっている、彼らの判断力にこそ、日本の未来がかかっているのだから、まずは彼らのお腹を私たちで支えようではないか。

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