『泣くものか―作文集』 養護施設協議会(亜紀書房)

先日警察庁から昨年一年間の児童虐待死が報告されましたが、49件ということでした。この数が多いか少ないか私には分かりませんが、少なくとも死に到らない虐待の数は相当なものに上ると思います。

本書はもう30年も前の昭和50年代にまとめられた、施設児童による作文集です。親の虐待や育児放棄などによって施設に入所した子供達の生の声が聞こえてくるような一冊です。時代の違いがあって「昔は経済的な貧困による虐待が多かったが、今は豊かな時代なのに精神的な貧困から虐待が発生する」という言い方がよくされますが、それはちょっと違うのではないかと思います。現実的な貧困と「貧困感」は違います。昭和50年代といえばまだ日本は総じて貧乏でした。したがって貧乏であってもそれほど「貧困感」は感じなかったように思います。うちも貧乏でしたし。一方、現在は小金持ちと貧乏人とに分裂した格差社会になりつつあります。こうなると、人間の貧困感というのは増大するわけです。なぜなら、何度でも言うように「欲望とは他者の欲望」なのですから。

一般に虐待は遺伝すると言われます。虐待を受けて育った子供は自分の子に虐待をすると。わたしはこういう言い方もどうかなと思います。心の問題は関数の問題と違って「Aすれば必ずBとなる」わけではないのですから。むしろBという結果からAという原因が事後的に導かれるに過ぎない。これを構造論的因果論といいます。しかし、テレビによく出てくる心理学者などはこうしたことをすっ飛ばして、「こうすればこうなる」風のことを吹聴しています。これではもはや占いや予言のたぐいであって、心理学者も細木数子も大した違いはなくなります。さらに、「心は影響を受ける」という側面も見逃せません。「虐待されて育った子供は虐待する」と言われ、それを気に病んでノイローゼになって虐待に走ってしまうということだってあるのではないでしょうか?

と、本書にはあまり関係のないことを語ってしまいましたが、これが書かれて編纂された頃は、まだ今のように「アダルト・チルドレン」という概念などが作られていなかった時期のものです。タイトルも「泣くものか」です。今なら「泣いてもいいんだよ(人間だもの)」風のタイトルにされてしまうでしょう。しかしながら、この古い作文集、なかなかに手強い内容で、ここで語られていることは普遍的な問題であるような気がします。

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