椎名誠 『哀愁の町に霧が降るのだ(上下巻)』 (新潮文庫)

哀愁の町に霧が降るのだ
椎名誠を最初に読んだのは、大学4年生の時、親しかった後輩から薦められたのがきっかけでした。たしか『インドでわしも考えた』だったと思います。なぜならば、当時「印度天竺文化研究会」(通称「印天文」)を作ろうなどと騒いでいて、ならば一冊インド物を読もうという話になったからです。しかし、読むべき本がガンジーでもなければ堀田善衛でもないところからも分かるとおり、単なる冗談でした。たぶん動機も「インドは美人が多い」とかなんとか、そういう不純なものだったはずです。

こうした不純な動機で作ろうとした印天文は単なる空騒ぎに終わったのですが、私はここ(『インドでわしも考えた』)にちりばめられている言葉に魅せられてしまい、ズルズルと椎名誠にはまっていくことになりました。今回取り上げる『哀愁の町』はエッセイ風味の小説で、詩と真実が上手いぐあいにミックスされている秀作です。その頃ちょうど、滝山寮時代の馬鹿馬鹿しくも面白い出来事を綴ろうと考えていた私は、「なんだ、こんな感じで書けば簡単じゃないか!」と早とちりして早速筆を執ったのですが、まったく読むと書くとでは大違い、全然「こんな感じ」には書けないで苦労した思い出があります。

最近ではあまり見かけなくなったボロいアパート「克美荘」を舞台に、椎名をはじめ沢野ひとしや木村晋介ら、のちに怪しい探検隊として有名になる「東ケト会」メンバーによる若き日の共同生活がヒューモラスに、そしてなんとはなしの懐かしさや哀しさを含んで描かれています。だから哀愁なんでしょう。この読後感、何かに似ていると思っていましたが、映画『スタンド・バイ・ミー』なんですね。スタンド・バイ・ミーは少年たちが主人公でしたが、こちらは思春期をそろそろ越えた男達。でもやっていることはなんか似通っているんですよね、ほとんど進歩がないのかもしれません。仲間さえいれば、若さにまかせて何でもできる、そんな青春のおはなしです。

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