Cowards die many times before their deaths

Cowards die many times before their deaths,
The valiant never taste of death but once.
--Julius Caesar (II, ii, 32-37)
(臆病者は死ぬ前に何度も死ぬ思いをするが
勇者が死を味わうのは一度きりである)

昨晩、テレビで映画『ジュリアス・シーザー』をやっていたが、シェークスピアのそれではなくて史実にのっとったものであった。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』はプロットが凝縮され一貫しており、ブルータスとアントニーの対照的で印象的な演説があるため英語圏の学生が最初に読む「シェークスピア」となっている。上に引用した一節は様々な凶兆を気にして、登院を思いとどまるようシーザーに懇願する妻キャルパーニアに向かって彼の述べた台詞である。この後、キャルパーニアがあまりにしつこくせがむので一旦は元老院行きを思いとどまるのだが、暗殺者の一味ディーシャスに上手く言いくるめられて登院し、そこで暗殺されることとなる。

臆病者が死ぬ前に何度も死に、勇者は一度しか死を味わわないというのは、臆病者は死を恐れるあまり死にそうな気持ちになる事が多いのに対して、勇者は死を恐れぬために死を味わうのは死ぬときだけだという意味である。ダンが死に向かって呼びかける「死よ、驕るな!」でも同様のロジックが展開されている。私は自殺する人の気持ちがわからない。むかしあるニュースキャスターが「自殺する勇気があるなら生きていけるはずだ」と言ったそうだが、自殺は勇気を持って行うものなのだろうか?むしろ、何度も迎える死に対する恐れから臆病者が起こす事なのではないだろうか?

どうせ死ぬのに、なんで死ぬのか分からない。

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