師匠の言葉に「気取ってはいけない。特に教師は気取ってつんとしていると学生の心がひろびろとできない」という指導がありました。自分の傾向を考えても無駄なプライドというか気取りがあって、それが自分を広げていく上でのネックになっていた気がしたので、この言葉が心に響きました。
ということで、数年前から「できるだけ気取りを取り去る」運動を個人的に始めてみたわけです。その場合、たとえば「心に思ったことを口や形に表す」「どんな人とも対等に接する」「欠点を隠さない」などなど細目にわたって頑張ってみたんですが、その結果、電車で可愛い子供がいれば「ああ、可愛い、いくつ?」、隣に座ったおばちゃんが話しかけてきたら相手を凌駕するような勢いで話す、疲れたら「疲れた!」と言うなどなどを実践して来ました。
しかし、同時に加齢するわけです。否応なしに加齢は進みます。そうすると、どうもこれはおじさんではなくて、おばさんになりつつあるという危惧が生まれてきました。上のような諸細目はどちらかと言うとおばさんに属するからです。
本来男ですからおじさん化するのはやむをえないにせよ、おばさん化するのはどういうわけだい?と自問自答してみましたが、結局、おじさんにはある種の気取りがある、つまりおじさん=気取りと気づいたわけです。おじさん化すべき私が気取りを取り去ったためにおばさん化しているというわけです。
となると因数分解の法則で、おじさん=おばさん×気取り、つまり、おじさんとは「気取ったおばさん」であるというバカデミック教授のような結論に達してしまいました。
どうやらこのままおばさん化を突き進みそうな気もしますが、それも居心地がいいかなと最近では思っています。
んじゃ、、、私に気取りを掛け合わせたら、おじさんになるはず。
人体実験の結果を またお知らせいたしますね!!!
(でも・・・公式が合ってたら、コワイ・・・うぎゃ???(><)))
とはいえ、気取ったおばさんもたくさん居ますよ。なので、おばさん化は一つの個性かもしれませんね。