二年ほど前までは、ほとんど毎年といっていいほどこの書物をテキストとして使用していました。数年間、この続編というかリニューアル版The Universe of English 2を使ったこともありましたが、2は1の持っている魅力を嘘のようになくしてしまい、悪い本ではないもののふつうのアンソロジーになってしまったのは不思議に思えます。1を編むときに漲っていた未聞のプロジェクトに取り組むワクワク感やグルーヴ感が、2では自動化され、ルティーン化されてしまったのでしょうか。それとも1を越えなければという意識が、かえって力みになってしまっていたのでしょうか。
Part 1冒頭の絵画論から既に魅力いっぱいです。オランダの画家デ・ヴィッテとフェルメールの作品をもとに17世紀のオランダ---デカルトのいう砂漠---で発達した資本制とそれに伴う家族の変容が彼らの絵画の上にどのように表れているかを、簡潔な文体で分析されています。
以降「分離脳研究」から分かった右脳と左脳の働き、ベイトソンの名著から視覚像形成のプロセス、ばい菌と食べ物の戦いと続き、本書で最も重要だと思われる「エッフェル塔」の一編にいたります。この「エッフェル塔論」はバルトが下敷きになっていると思われますが、ハイデガーやショーペンハウエルらの思想がちりばめられ、近代批判のテクストとしても読解が可能な多重的なものです。自分で読むのも大変なら、他人にここに書かれていることを伝えるのはまして大変なことですが、それだけに相手に伝わったと感じられたときには一種のグルーヴ感が生まれるんですね。
Part 2以降も、「宇宙論」「進化論」「労働市場の発生」「ディズニーランド」「縮み志向の日本人」等々刺激的な文章にあふれています。毎日英字新聞を読むのは大変だ、一冊の小説を読み通す根気がなかなか続かないと考えている人は、この本を読んで英語の勉強に再挑戦してみてはどうでしょうか。