鴎外が晩年に書いた歴史物は、司馬遼太郎や吉川英治らの書く「歴史小説」とはちょうど反対のベクトルを向いています。司馬遼や吉川の歴史小説は大きな時代、あるいは時代精神という物語のもとで、登場人物が意志を持ちそれを実現しようと行動し、あるいは成功しあるいは失敗する物語が交差することによって織りなされているのが特徴です。私たちはこれらを読んでいてワクワクし、時に共感し時に反発を感じるわけです。
一方、鴎外の歴史物はというとまず、大きな時代精神のような物語の枠組みがないのです。いきなり人が出てきて、おまけにその人はもうすでに何かを「してしまった後」だったりするわけです。そして何かを「しでかしてやろう」とか、これを達成しようという意志を持たぬままに何かをしでかしてしまい、しでかしたことに対して呆然としているのです。いかにも怪しげな山岡大夫の船に乗り込み危機が迫っているのに母親は大夫にあらがうことができない。無知だからでもない、臆病だからでもない、「自分が大夫を恐れているとは思っていない。自分の心がはっきり分かっていない」のです。
「高瀬舟」の喜助にしてもそうです。ここに安楽死の問題を持ち込むことは簡単ですが喜助自身はそのことに気づいていません。というよりどうしてこんなことをしてしまったのか途方に暮れているのです。「あとで思ってみますと、どうしてあんな事ができたかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます」と自分のとった行動に何らかの意味や目的を見いだせずにいます。一般に物語、あるいは物語る欲動というのは意味と関係づけられます。物語に出てくる登場人物は常に意味のある行動をとります。そして物語る欲動とは自分の(あるいは他者の)行動に意味を付与したい欲動なのです。これに対して喜助は物語る欲動をもっていないのかもしれないし、あるいはもつ必要がなかったのかもしれません。いずれにしても、喜助は自分の行為の意味をあれこれ詮索したり、自己弁護の物語をとうとうと論じ立てずに淡々と出来事を語ってゆくのです。
鴎外の歴史物にはこうした「物語る欲動」をさっさと捨ててしまったようなところがあります。さらに「物語性」の排除をだめ押しするのが、話の最後につけられた「縁起」あるいはエピローグです。本来エピローグは、クライマックスに達した物語の余韻を響かせるために置かれているものなのですが鴎外の場合は全く違います。「最後の一句」では「いち」の言葉に関連してマルチリウム(自己犠牲)の問題に言及していますが、結局父親が助命されたのは、こうした精神的な理念からではなく「当時の行政司法の、元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹」してしまったという事情がエピローグにつづられているのです。エピローグをもって「物語性」を排除するため、上の一冊には収録されていませんが「大塩平八郎」そして「興津弥五右衛門の遺書」にいたってはただの年表、あるいは家系図を延々書き連ねています。
歴史というものを大きな物語としてとらえ、あるいは歴史を物語る欲動にとらわれていさかいを繰り返している現代において、鴎外の歴史物がもたらす有効性というのは決して低くないと思います。