No man is an Island, entire of itself; every man is a piece of the Continent, a part of the main; if a clod be washed away by the sea, Europe is the less, as well as if a promontory were, as well as if a manor of thy friends or of thine own were; any man's death diminishes me, because I am involved in Mankind; And therefore never send to know for whom the bell tolls; It tolls for thee.
John Donne, "Meditation XVII"
(人間は島ではない。人間はそれ自身で全体ではない。全ての人間は大陸の一部、本土の一角なのだ。土くれが海によって洗い流されれば、ヨーロッパはそれだけ小さくなる。ちょうど、岬が縮小されるように、そして君の友人や君自身の荘園が減っていくように。誰かの死は私自身を小さくするのだ、なぜならば私は人類全体に含まれているのだから。だから決して誰がために鐘は鳴るのか知ろうとしてはならない。鐘は君のために鳴るのだ。)
ジョン・ダンの文「瞑想17」の一節である。この一節は締めくくりの"for whom the bell tolls"(誰がために鐘は鳴る)が後にヘミングウェイの同名の小説のタイトルとなったことでも有名である。ここでいう"bell"とは"passing-bell"、すなわち弔鐘のことであり、鐘が鳴ったからといって人を遣って誰が死んだのかを問わせてはならないという意味である。
ここで語られている個と類の関係性は古くから思想のトポスとなっているし、海に侵食される大地のイメジもシェイクスピアの『ソネット』やポウプの『批評論』でも用いられるおなじみのものである。私が面白いと思うのは、日本人から見れば、イギリス人は島のような人々であるし、それも絶海の孤島みたいな人が多いように思える事である。むしろそういう人が多いところだからこそ、このような思想が強調されるのかもしれない。